満州国建国宣言
1932/03/01
世界の目が上海に集まっている中、関東軍は、まんまと満州国を中国から独立させた。
    
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/09/21   朝鮮軍、満州へ越境出動 (司令官:林銑十郎/統帥権侵犯)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1931/11/10   溥儀、天津脱出 (→大連)
1931/11/18   日本政府、満州への増派を閣議決定
1931/12/10   国際連盟、満州問題調査委員会設置
1932/01/07   陸軍、満州独立の方針を関東軍参謀板垣征四郎に指示
1932/01/07   スチムソン・ドクトリン (米、満州事変を不承認)
1932/01/18   日本人僧侶殺害事件 (上海)
1932/01/28   上海事変@勃発
1932/03/01   満州国建国宣言
1932/04/29   上海爆弾テロ事件 (犯人:尹奉吉)
1932/05/05   上海停戦協定調印
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/08/25   内田外相、「焦土外交」の決意を表明
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1934/03/01   満州国帝政実施 (皇帝:溥儀
〜 満州国 〜
執政:溥儀(清国廃帝) / 首都:新京(長春を改称) / 元号:大同
taro's トーク ああああああ
引用土肥原は天津におもむき、当時天津日本租界に隠棲中の廃帝溥儀すなわち前清の宣統帝にまずいちじるしい恐怖感をあたえることにつとめた。 このような廃帝溥儀の引出し工作に日本の外務省は反対であった。 幣原外相は在天津桑島総領事に、かかる計画の中止に努力方を訓令したが、 土肥原は、あるいはことさらに反張学良の暴動事件を計画してこれを引きおこし、 あるいは廃帝溥儀に差出人不明の爆弾入りの果物をとどけたりして強引に説得、ついに天津脱出の決心を固めさせた。
ついに十一月十一日、ひそかに天津をのがれ出で、日本船淡路丸に乗じた廃帝溥儀は、十三日営口に到着、 ただちに遼陽南方の温泉湯崗子にて関東軍側からの建国計画の委細を聞いた。
がんらい満州のなかには反張学良分子、反南京中央政府分子、そして清朝の復辟を願う者等々、種々の勢力があった。 これらの勢力を打って一丸となし、溥儀を推戴せしめ、三月一日ついに執政溥儀のもとに満州国建国宣言が発表されるのである。 溥儀は当初執政として就任、状況をみて皇帝になるということであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。