西田税暗殺未遂事件 1932/05/15
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
語録
私が、やったのも個人的には何の怨みもなかったのです。
川崎長光 (血盟団員)
引用三月十四日、
愛郷塾で川崎は同志の林正三から暗殺用のピストル一梃と実弾八発をうけとった。
五月十五日朝、彼は愛郷塾から上京して、その日の夕方六時すぎに代々木の西田税方についた。
計画では西田暗殺は午後六時半と決められていた。
川崎が西田家を訪れると、顔見知りの西田の妻が二階に上げた。そこは六畳の間だった。
西田は着流しで出てきて気軽に川崎と話をした。
このときはすでに海軍軍人組が首相官邸や牧野内府官邸を襲って一時間も経っている。
やがて時計は七時近くになった。
「何をするか」
しかし、生命に別条なく、右側胸部、下腹部ほか三ヵ所に貫通と盲管銃創を負っただけですんだ。
だが、かなりの重体で、治療三ヵ月を要した。西田暗殺は失敗に帰した。
松本清張 「昭和史発掘(4)」
P.272この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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