松岡洋右、国際連盟総会で「十字架演説」
1932/12/08
非難にさらされる日本を、磔に処せられるイエス・キリストになぞらえ、正当性を主張した。
    
1931/09/18   柳条湖事件 (満州事変勃発)
1931/12/10   国際連盟、満州問題調査委員会設置
1932/01/07   スチムソン・ドクトリン (米、満州事変を不承認)
1932/01/28   上海事変@勃発
1932/02/29   リットン調査団来日
1932/03/01   満州国建国宣言
1932/05/05   上海停戦協定調印
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/08/25   内田外相、「焦土外交」の決意を表明
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1932/10/01   リットン調査団、日本政府に報告書を通達
1932/12/08   松岡洋右、国際連盟総会で「十字架演説」
1933/01/01   山海関事件 (01/03 日本軍、山海関占領)
1933/02/20   閣議、対日勧告案可決の場合の国際連盟脱退を決定
1933/02/23   日満軍、熱河省への進攻作戦開始
1933/02/24   国際連盟総会、リットン報告書を採択
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用「人類はかつて二千年前、ナザレのイエスを十字架にかけた。しかも、今日、どうであるか。 諸君は、いわゆる世界の世論なるものが誤っていない、と保証できようか。
われわれ日本人は、現に試練に遭遇しつつあるのを覚悟している。 ヨーロッパやアメリカのある人びとは、いま二十世紀における日本を十字架にかけんと欲しているのではないか。
諸君!
日本はまさに十字架にかけられんとしているのだ。
しかし、われわれは信ずる。固く固く信ずる。わずか数年ならずして、世界の世論は変わるであろう。 しかして、ナザレのイエスがついに世界に理解されたごとくに、われわれもまた世界によって理解されるであろう、と」
松岡の英語を存分に駆使した演説は、一時間半に及んだ。 彼が、サンキューといって演壇から下りたとき、会議場をゆるがすような拍手がいっせいにわき起こった。
それはまさしく感動的な場面だった。 自分の席に戻る松岡に、フランス代表のボンクール陸相、イギリスのサイモン外相らが、つぎつぎに席を立って、 松岡に握手を求めにやってきた。
イギリスの陸相でやはり代表となっているヘールシャムは、松岡の肩に抱きついていった。
「すばらしかった。三十年間も外交生活をしているが、こんな演説は初めてだ」
また、のちに感想を求められたサイモン外相は、あれは松岡にとっては、演説というよりも詩であったといい、 ボンクールは、ヴェルサイユにおけるクレマンソーの猛虎演説に比すべき歴史的雄弁だ、といった。
じじつ、松岡の雄弁は、総会の空気に微妙な一石を投じた。
日本に対して、同情的な空気がいくぶんか生じてきた。 四国決議案をそのまま表決に付するのは、好ましくないという意見がふえてきた。
イギリスやフランスにとっては、これは歓迎できる兆候である。 日本にとっても、表決はさけた方がいい。
そこで妥協案が生まれた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。