斉藤内閣成立
1932/05/26
政友会と鈴木総裁の期待を裏切って、斉藤海軍大将に組閣の大命。
[詳細]【内閣成立史】  
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/16   犬養内閣総辞職
1932/05/20   鈴木喜三郎、政友会総裁F就任
1932/05/26   斉藤内閣成立 (首相:斉藤実
1932/08/25   内田外相、「焦土外交」の決意を表明
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/02/24   国際連盟総会、リットン報告書を採択
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1933/04/22   滝川事件 (鳩山文相、滝川教授の辞職を京都帝大総長に要求)
1933/05/31   塘沽停戦協定
1934/02/09   中島商工相辞任 (足利尊氏論で)
1934/02/15   政友会代議士、鳩山文相の収賄を追及 (→政友会の内紛激化)
1934/03/01   満州国帝政実施 (皇帝:溥儀
1934/03/03   鳩山文相辞任
1934/04/18   帝人事件発覚
1934/07/03   斉藤内閣総辞職
1934/07/08   岡田内閣成立 (首相:岡田啓介
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 斎藤新総理は、積極の人ではなく、すべて受身の人であった。 関東軍も、軍部も、満州国建国で手一杯で、政府はむしろ放任政策に出たため、軍部方面は小康を得た。 政府は、満州問題を他人事のやうに取扱ったが、満州問題から来る日本の責任問題は、他人事ではなく、 軍部の行動は日本の行動として、日本政府自身において、責任をもって、取扱わねばならなかったのである。
重光葵 (外交官)
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「斉藤内閣」は「斉藤実内閣」「斎藤実内閣」と同じ意味です。