国会議事堂放火事件
1933/02/27
ナチスの陰謀? 謎の放火で国会議事堂が全焼。 このチャンスをヒトラーは見逃さなかった。
    
1932/07/31   ナチス、第1党に躍進
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1933/02/27   国会議事堂放火事件 (ベルリン)
1933/03/09   ドイツ、共産党を非合法化
1933/03/23   ドイツ議会、全権委任法を可決 (ヒトラー独裁体制確立)
1933/04/26   ゲジュタポ発足 (長官:ゲーリング
1933/06/22   ヒトラー、社会民主党の活動を全面的に禁止
1933/07/14   ヒトラー、新政党の結成を禁止
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用選挙戦の終盤の二月二十七日夜、国会議事堂が放火されて全焼した。 犯人としてオランダ人の共産主義者ファン・デア・ルッペが逮捕された。 政府は事件の調査をまたずに、共産党の仕業と断定し、憲法の基本的人権停止、州権への介入を定めた大統領緊急令を発した。 プロイセン州だけでも、二週間で八〇〇〇名以上の共産党員が拘束された。 政府はその後ドイツにいたブルガリア共産党指導者ディミトロフら四名の共産主義者を逮捕し、 ルッペとともに裁判にかけた。 ゲーリングまで証人に立った裁判でも、共産党の関与は認められず、ディミトロフらは無罪になり、 ルッペのみが新法を遡及適用されて処刑された。
この事件はナチスにあまりに都合がよかったことから、当時から真犯人はナチスだと噂され、 戦後もこの説が信じられた。 ところが一九六〇年代にルッペ単独犯説が西ドイツで発表されると、フランス人ジャーナリスト、 カリックと歴史家ホーファーがナチス犯行説を示す史料集を出して反論し、はげしい論争になった。 その後、カリックが提出した史料の多くは偽造の疑いが濃いことがわかり、 現在ではルッペ単独犯説が有力である。 ナチスを憎むあまり、カリックは勇み足をおかしたらしい。 この事件がなくても、ヒトラーやナチスの行動は変わらなかったという見方で歴史家は一致しているが、 ルッペの行動はナチスの急進化を早める結果になった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。