小林多喜二、拷問死 1933/02/20
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
taroの母が亡くなろうとしているとき、ある叔母が病院に一冊の本を持ってきてくれた。
その本、三浦綾子の「母」は小林多喜二とその母を描いた小説だ。
叔母にしてみれば、母親の愛情がもっともわかるとき、もっともわからねばならないときに際して、
この本をtaroに読ませたかったのだろう。
築地署から帰ってきた多喜二は、むごたらしく変わり果てていた。
多喜二が受けた扱いのいくつかは、そのむくろがはっきり語っており、多喜二の痛みが見る者の顔をしかめさせた。
この心やさしい親孝行者の息子がなぜにこんなことにならねばならないのかと、年老いた母親は号泣した。
多喜二のおかあさんと比べるのは僭越すぎるが、
今亡くなろうとしている母も、taroの拷問死体を見たら、同じほどに身も世もなく泣くだろうとそのとき思った。
ついでながら、拷問する者にも母親はある。ここが恐ろしいところだ。
引用小林多喜二が特高の手に捕らえられ、築地警察で虐殺されたのは、二月二十日のことだったが、
それをありのままに報道した新聞は一社もなかった。
毛利特高課長の「決して拷問した事実はない。
心臓に急変をきたしたものだ」という談話をれいれいしくのせた。
わずかに、友人の江口渙の「顔面の打撲裂傷、首の縄の跡、腰下の出血がひどく、たんなる心臓マヒとは思えません」
という談話(都新聞)や、家族や友人が「むごくも変わりはてた姿に死の対面をした」(読売新聞)といった表現で、
真相をそれとなく匂わせるのがやっとであった。
三好徹 「夕陽と怒濤」
P.202この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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