国際連盟総会、リットン報告書を採択 1933/02/24
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用十九か国委員会が日本に対して、リットン調査団の報告および勧告をつきつけることを決めたのは、二月十四日である。
「日本の満州における軍事行動は、自衛の措置とは認めがたい」とあって、
満州国の独立を承認していなかった。一般的な解決原則として、
「日支双方の利益と両立すること」
「満州内部の秩序は、満州の憲兵隊により確保し、それ以外の一切の軍隊を撤去し、
関係国間の不可侵条約締結によって期すること」などをあげ、関係条約の締結を勧告するものであった。
この報告、勧告が、総会にかけられたのは、二月二十四日の午前であった。
イースマン議長の背後は、大きくひらけたガラス窓で、そこからは白いアルプス連峰と、
碧い空とが鮮やかにとらえられた。
中国代表の顔恵慶が、無条件受諾の賛成演説を行なったのを受けて、松岡は流暢な英語による反対演説を、
一時間にわたってくりひろげた。
しかし、その票決は賛成四十二、反対一、棄権一、欠席十二で、リットン報告、勧告は可決されることになった。松岡は、
「報告、勧告は、東洋の平和を確保するとは考えられない、平和達成の様式について、
日本と他の連盟国とが別個の見解であるとの結論に達した」といって国際連盟からの脱退を宣言した。
国際連盟脱退が枢密院の議を得て、正式に決定したのが一か月あとの昭和八年、三月二十七日である。
戸川猪佐武 「小説 吉田茂」
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※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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