F・ルーズベルト、アメリカ大統領就任
1933/03/04
宣誓を終えるや、新大統領は就任演説で断固たる決意を述べ、国民をあたたかく励ました。
    
1929/10/24   米・ウォール街、株価大暴落 (→世界恐慌)
1932/11/08   F・ルーズベルト、アメリカ大統領選挙でフーバーを破り当選
1933/03/04   F・ルーズベルト、アメリカ大統領就任
1933/03/06   F・ルーズベルト(米)大統領、4日間の銀行営業停止を指令
1933/03/06   F・ルーズベルト(米)大統領、金輸出禁止を指令
1933/05/12   アメリカ議会、農業調整法(AAA)を可決
1933/05/18   アメリカ議会、テネシー川流域開発公社法(TVA)を可決
1933/05/19   米中共同声明 (F・ルーズベルトと宋子文)
1933/06/16   アメリカ議会、全国産業復興法(NIRA)を可決
1933/11/17   アメリカ、ソ連を承認
1935/05/27   アメリカ最高裁、全国産業復興法(NIRA)に違憲判決
1935/07/05   アメリカ議会、ワグナー法可決
1935/08/14   アメリカ議会、社会保障法可決
1935/08/31   アメリカ議会、中立法可決
1936/11/03   F・ルーズベルト(米大統領)再選
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用一九三三年三月四日、春とはいえワシントンの空は暗雲がたれこめ、鉛色のどんよりした空模様につつまれていた。 おもくるしかったのは天気ばかりではなかった。 アメリカ全体をつつんでいた雰囲気が、大統領就任式というお祝いの気分からはるかに遠ざかったものであった。 街路をかざる星条旗も力なくたれ、人々の心は沈みきっていた。
ローズヴェルトの大統領の就任式は、大恐慌が最悪の事態におちこんだときおこなわれたのであった。 多くの工場は閉鎖され、仕事をしている工場もほんのわずかの生産をおこなっているにすぎず、 商船は波止場につながれたまま、空の貨車はなすことなく操車場に並んでいた。 失業者の数は一五〇〇万に達し、パンを求める人々の姿は長い列をつくっていた。 そのうえ、就任式の一週間前から、全国の銀行がとうとうその扉をとざすという最大の経済的危機にみまわれていたのである。
新大統領としてのローズヴェルトがまずおこなわねばならぬことは、国民から不安感を一掃し、自信を持たせることであった。 宣誓を終わったローズヴェルトは、力強く就任演説をおこなった。
「この偉大なるわが国は、今日まで継続してきたように将来も継続するであろうし、再生し、繁栄するであろう。 したがって私は、まず第一に私の固い信念を主張したい。 つまり、われわれの恐れなければならないのは、恐れることそのものであるということである。 退却から前進に転じるのに必要な努力を麻痺させる、漠然として理屈に合わぬ筋のとおらない恐怖感をこそ、 恐れなければならないのである」
と、彼は国民を激励した。 ついで、彼がいだいている恐慌克服の計画を概説したのち、つぎのようにつづけた。
「私は憲法の定める任務にしたがって、苦悩せる世界の直中における苦悩せるわが国民が必要としている諸法案を、 いつでも推奨する用意がある。 これら諸法案、および議会がその経験と叡知によってつくりだすその他の諸法案については、 私は憲法の定める権限が許すかぎり、すみやかにそれを採択せしめるであろう。 しかしながら、もし議会がこれら二つの道のどちらか一つをとらなかったばあいには、 そして国家はなお危急存亡の事態にあるばあいには、私は自分に課せられた明白な責任を回避しようとは思わない。 私は議会に対し、この危機を乗りきるために残された一つの方法、すなわち、緊急事態と一戦をまじえるために、 じっさいに外国の敵が侵入してきたさいに私にあたえられる権力と同様に強い広範な行政権を要求するであろう・・・・・・」
この演説には、ローズヴェルトの強い責任感と決意が現われていた。 自信にみちた彼の態度は、国民の心の動揺をしずめるのに大きな効果があった。 すくなくとも、ローズヴェルトは、大統領としてその第一歩において国民の信頼を得ることに成功したのだった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。