ヒトラー、「大平和演説」 1933/05/17
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用五月十六日、米大統領F・ルーズベルトは軍縮会議の継続を求めるアピールを、四十四ヵ国の元首に送った。
爆撃機、戦車、移動式重砲などすべての攻撃兵器の撤廃を呼びかけ、
米国も応諾する用意がある、という。
「ルーズベルト大統領の提案は、ドイツ政府の無常の感激を獲得した・・・・・・大統領の提案は、
平和の維持に協力しようとするすべての者にとって慰めの光である・・・・・・」
ヒトラーは、その翌日、五月十七日、さっそくにルーズベルト声明に呼応する演説を放送したが、
世に「大平和演説」と呼ばれるようにその内容は平和感に満ち満ちていた。
―生存のために必要な経済資源を一国民から剥奪するのは、賢明なことではない。
―ポーランド人およびフランス人をドイツ人たらしめ得ると信じさせた前世紀の考え方は、
われわれには無縁のものである。
―ドイツは攻撃を考えず、ただ安全保障の確保のみを念ずるがゆえに、
いかなる不可侵条約にも賛成する用意がある。
―ドイツは、たとえ完全に成功する場合でも、ヨーロッパにおける軍事行動は
その犠牲が利益よりもはるかに甚大であることを、よく知っている。 ヒトラーは、軍縮会議のSA隊、SS隊にかんする決定にふれ、
もしそれらを軍隊とみなすなら「消防隊、スポーツ団体、監守人」も兵士になるといい、
ルーズベルト提案についても「武装国家」「隣邦諸国」がそうするならドイツも攻撃兵器を棄てる、との条件を明らかにした。
また、多数決による決定をおしつけ、制裁などをドイツにこころみるならば、
ドイツは「軍縮会議」と「国際連盟」にとどまり得ない、という、そのごの事態を暗示する予告も、
さりげなく言明していた。
つまりは、他国が軍備撤廃をしない限りドイツは再武装する、という決意の表明と理解できるはずである。
ヒトラーの著書『わが闘争』は、「生活圏」の獲得と「失地回復」を強調しているが、
この「大平和演説」は、そういう思想の転換を意味するものとさえ理解された。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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