神兵隊事件
1933/07/11
首相官邸空爆。 全閣僚殺害。 秩父宮擁立。 井上日召の弁護人のクーデター計画 未遂。
    
1932/02/09   血盟団事件@ (井上準之助暗殺)
1932/03/05   血盟団事件A (団琢磨暗殺)
1932/03/11   井上日召自首 (血盟団事件)
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/15   西田税暗殺未遂事件
1933/04/22   滝川事件 (鳩山文相、滝川教授の辞職を京都帝大総長に要求)
1933/05/31   塘沽停戦協定
1933/07/11   神兵隊事件
1933/09/11   五・一五事件陸軍側判決 (全員禁固4年)
1933/11/09   五・一五事件海軍側判決 (最高禁固15年)
1933/11/13   埼玉挺身隊事件
1934/02/04   五・一五事件民間側判決 (最高無期懲役)
1934/11/20   士官学校事件
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用神兵隊事件とは、右翼の天野辰夫を総帥として、同志前田虎雄との協力で行動を起し、 以て「一死奉公の日本魂に殉ずる」ことを念願としたものだ。
彼らは斎藤内閣を以て現在の特権支配階級の最後の防砦であると規定し、 これを打倒し、一挙に国家統治の中枢機構を破壊し、帝都を騒乱化し、戒厳令を布こうとした。
ここまでは五・一五事件の被告や、そのあとの二つの計画と同じだが、ただ、ここで変っているのは、 そのクーデター後に「大詔渙発によって○○を首班に推戴し、以て明治維新を追い、昭和維新を断行して 皇国の永遠無窮の発展を目指す唯一の手段とした」。○○は秩父宮と考えてよかろう。
引用急進分子は依然クーデター計画を放棄したわけではなかった。 昭和八年七月一一日を期して決起し、閣議中の閣僚全員、重臣、政党首領、財閥首脳を殺し、 改造内閣―その首班には「革新」運動に理解のあるといわれていた東久邇宮を予定していた ―を樹立しようという計画が、事前に探知され、 参加者は神宮外苑の日本青年館に集合したところを一斉検挙された。いわゆる神兵隊事件である。
この事件は天野辰夫、前田虎雄、鈴木善一ら大日本生産党系の右翼青年グループが主体であったが、 元東久邇宮付武官の安田鉄之助予備中佐、海軍の霞ヶ浦航空隊司令山口三郎中佐らが加わっていて、 かなり大規模な計画であり、背後に陸軍部内の統制派とのつながりがあったともいわれている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。