ドイツ、ジュネーブ軍縮会議・国際連盟からの脱退を表明
1933/10/14
ドイツの断固たる決意に、世界が震撼した。
    
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1933/02/02   ジュネーブ軍縮会議再開 (〜10/14/国際連盟主催)
1933/03/23   ドイツ議会、全権委任法を可決 (ヒトラー独裁体制確立)
1933/05/16   F・ルーズベルト(米)大統領、軍縮会議継続を求める声明発表
1933/05/17   ヒトラー、「大平和演説」
1933/10/14   ドイツ、ジュネーブ軍縮会議・国際連盟からの脱退を表明
1933/11/12   国際連盟脱退の可否を問う国民投票 (独)
1934/06/30   レーム事件 (ヒトラーレームらを粛清)
1934/08/02   ヒンデンブルク没 (ドイツ大統領)
1934/08/19   ヒトラー、首相と大統領を兼任
1935/01/13   ザール地方住民投票 (90%がドイツへの帰属を希望)
1935/03/06   ドイツ、再軍備宣言
1935/10/21   ドイツ、国際連盟脱退
1936/03/07   ドイツ軍、ラインラント進駐
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用ヒトラー外交の積極化をしめす第一弾は、一九三三年十月十四日の国際連盟および軍縮会議からの脱退であった。 脱退の理由とされたのは、軍縮会議でイギリス、フランスがドイツだけを不平等にとりあつかおうとしているということだった。 だが、もともとヒトラーにとっては、国際連盟と軍縮会議からの脱退は、最初から時間の問題にしかすぎなかったのだ。 というのも、国際連盟をはじめとする従来の集団安全保障の体制をうちくだき、それにかえて、 みずからの征服計画の実行に有利な二国間同士の協定をむすんでゆくことが、当面のヒトラーの外交方針にほかならなかったからである。 それに、軍縮交渉に長くかかわりあうことで、ドイツの再軍備が長く掣肘をうけることも、ヒトラーの好まぬところだった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。