国際連盟脱退の可否を問う国民投票
1933/11/12
ドイツ国民の圧倒的多数がヒトラーの国際連盟脱退を支持、戦勝国にまたも衝撃をあたえた。
    
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1933/02/02   ジュネーブ軍縮会議再開 (〜10/14/国際連盟主催)
1933/03/23   ドイツ議会、全権委任法を可決 (ヒトラー独裁体制確立)
1933/05/16   F・ルーズベルト(米)大統領、軍縮会議継続を求める声明発表
1933/05/17   ヒトラー、「大平和演説」
1933/10/14   ドイツ、ジュネーブ軍縮会議・国際連盟からの脱退を表明
1933/11/12   国際連盟脱退の可否を問う国民投票 (独)
1934/06/30   レーム事件 (ヒトラーレームらを粛清)
1934/08/02   ヒンデンブルク没 (ドイツ大統領)
1934/08/19   ヒトラー、首相と大統領を兼任
1935/01/13   ザール地方住民投票 (90%がドイツへの帰属を希望)
1935/03/06   ドイツ、再軍備宣言
1935/10/21   ドイツ、国際連盟脱退
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用「(ヒトラー)総裁に国際連盟脱退を決意させたのは、野心でも熱情でもなく、 盲目的な頑固さでも暴力への欲求のためでもない。 それは、わが国民に運命自決権を回復させようとの無条件の使命感によるものである」
著名な哲学者フライブルク大学教授M・ハイデガーが、学生たちにそう説くと、 カトリック教会は神父たちに回状をまわして、ドイツ国民を「戦争とボルシェヴィズムの脅威」から解放し、 「社会秩序の確立と失業者救済を成就」したヒトラーへの支持を呼びかけた。
大統領ヒンデンブルクヒトラーの政策に賛意を表明する放送をおこない、 それらの成果は十一月十二日の投票結果となって明示された。
四千五百万人の有権者の九六%が投票し、うち九五・一%が連盟脱退に賛成した。 ダハウ強制収容所に収容されていた政治犯二千二百四十二人も、うち二千百五十四人がヒトラー支持票を投じた。
同時におこなわれたナチス党を単一政党とする総選挙投票でも、 ナチス党は九二・二%を獲得した。
選挙には政府とナチス党の干渉も記録されているが、まだ当時のヒトラーには弾圧だけで九五%のドイツ国民を懾伏させる力はなかった。 国民の自発的支持の結果とみなすべきである。
ドイツ国民は、第一次大戦後の十五年間を耐えてきたヴェルサイユ体制からの離脱を喜び、 その機会を与えたヒトラーに歓呼したのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。