荒木陸相辞任
1934/01/23
皇道派の “” 陸相辞任で、陸軍の派閥均衡 崩れる。 嵐の予感。
    
1931/12/23   閑院宮載仁親王、参謀総長就任
1932/05/15   五・一五事件 (犬養首相暗殺)
1932/05/26   斉藤内閣成立 (首相:斉藤実
1932/09/15   満州国承認 (日満議定書調印)
1933/03/28   日本、国際連盟脱退
1933/05/31   塘沽停戦協定
1933/06/17   ゴーストップ事件 (大坂天六交差点)
1933/10/03   初の五相会議開催 (首・蔵・陸・海・外の各相)
1934/01/23   荒木陸相辞任 (後任:林銑十郎
1934/10/01   陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」発行
1934/11/20   士官学校事件
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用眞崎が退くと、陸相荒木の実力はたちまち急落していく。 眞崎あっての陸相荒木であった。
荒木が非常な意気込みで、五相(首相、蔵相、陸相、海相、外相)会議に提案した『皇國國策基本要綱』と題する国策案は 広汎な主題を網羅した膨大なものだったが、出席者は冷淡だった。 「具体性を欠く」「範囲が広すぎて掴めない」など、反対意見は言うが、建設的意見は出ない。
改訂もして、荒木は孤軍奮闘するが、進展はなく結論は出ない。 荒木の非常時論ばかりがいたずらに空転して、ずるずると日が経つ。
農業救済案の方も、荒木陸相の『国内対策』として、内政会議に出すが、 こちらも議論が空転するだけで全く進展がない。
そんな荒木の挫折を見て、革新派青年将校らも荒木に益々失望して人気は急落し、 荒木から離れていく。必然的に眞崎のところへ集中して来る。
荒木は完全に行きづまった。
昭和八年暮、陸相辞任を言い出した。 理由は病気だが、これ以上つづけて、汚点を重ねたくはないというのが本心だった。精神主義の限界である。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。