遵義会議
1935/01/13
長征途上の貴州省遵義で、毛沢東が中国共産党のリーダーシップをとることに決まった。
    
1924/01/20   国共合作@成立
1927/04/12   蒋介石、上海クーデター (国共分離)
1927/04/18   南京国民政府成立
1928/06/09   北伐軍、北京入城 (北伐完了)
1931/11/07   中華ソビエト共和国臨時政府(瑞金政府)成立 (主席:毛沢東
1934/10/15   紅軍、瑞金を脱出 (長征開始)
1935/01/13   遵義会議 (毛沢東、中国共産党内の指導権確立)
1935/08/01   八・一宣言
1936/12/12   西安事件 (張学良・楊虎城、蒋介石を監禁)
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1937/08/13   上海事変A
1937/09/23   国共合作A成立
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taro's トーク ああああああ
引用長征が中国革命史上に占める最大の意義は、 毛沢東の指導権の確立、いいかえれば中国の大地に根ざす路線が、 絶対的な権威をかざしてきたコミンテルンの指導をしのいだことにある。 その転機となったのが、三五年一月十五日から貴州省遵義で開かれた中共政治局拡大会議であった(遵義会議)。 出席者は秦邦憲、張聞天、王稼祥、周恩来、陳雲、朱徳劉少奇、凱豊、ケ発、毛沢東、李富春、劉伯承、林彪、 聶栄臻、彭徳懐、楊尚昆、李卓然、ケ小平、それにリトロフとその通訳伍修権である。
席上、毛沢東は第五次囲剿戦以来の党中央の「極左冒険主義」的軍事指導をきびしく批判して、その責任を追求した。 秦邦憲とリトロフは頑固に誤りを認めようとしなかったが、 一貫して党中央の路線を守ってきた周恩来が自己批判して敗北の責任を認め、 会議の大勢は毛沢東支持に傾いた。 その結果、総責任者に秦邦憲に代わって同じくソ連留学派の張聞天が選ばれたが、 毛沢東も政治局常務委員に復活して軍事を担当し、長征の過程をつうじて、 軍事面でも政治面でもしだいに党の指導権を確立していった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。