天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/02/19
裏で糸引く陸軍のにおいぷんぷん。 美濃部学説バッシングが始まった。
    
1932/03/01   満州国建国宣言
1933/12/09   陸海軍両省、軍部批判は黙視できぬと声明
1933/04/22   滝川事件 (鳩山文相、滝川教授の辞職を京都帝大総長に要求)
1934/10/01   陸軍パンフレット「国防の本義と其強化の提唱」発行
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/04/06   真崎教育総監、全陸軍に国体明徴の訓示
1935/04/09   美濃部達吉の3著発禁 (売り切れ続出)
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/03   政府、国体明徴声明@
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1935/09/18   美濃部達吉、貴族院議員辞職
1935/10/15   政府、国体明徴声明A (天皇機関説は国体に背くと明言)
1936/02/26   二・二六事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク 高校生の頃、taroは天皇機関説問題がさっぱり理解できなかった。 だから、ここで昔の自分に対して解説を試みてみよう。 まず美濃部博士の天皇機関説から。これはわかりやすく言えば、国家を人体にたとえ、天皇をその頭(元首)にたとえて、 つまり天皇というのは国家の機関の一つなのだとすることで、明治憲法を合理化しようとしたもので、 大正期にはすでに定説になっていた。次に、そんな天皇機関説をバッシングした人たちの気持ちを考えてみるといい。 まず“天皇親政”の名の下に軍部独裁を企む人たちにとってこの学説はじゃまっけだった。 美濃部の師匠にあたる一木喜徳郎に、狙っていた枢密院議長の座をさらわれた右翼のボス平沼騏一郎にとっても、 美濃部を叩くことは一木を叩くと同じだから非常に好都合。 それから海軍の軍艦派(軍備拡張派)の人たち。彼らにとって美濃部は、統帥権干犯問題のときに浜口内閣を支持したにっくき相手だ、 ここぞとばかり叩いただろう。 最後に、なんとなく日本を特別な国と思いたい人たちにとっても、やっぱり天皇機関説批判は好ましいことだった。 で、美濃部バッシングというわけ。どうだい? わかったかな、taroくん。
語録 政府は手を変え品を変えてにこういう態度に出るべきことを勧奨した。 四面楚歌の中にあっては一歩も退かなかった。 自分の憲法学説の正しいことをあくまでも確信し、少しの疑いも差し挿まなかった。 自分の学説の誤りを認めたり公職を辞するなど思いもよらないことであった。 は政府側からくるあらゆる勧奨をはねつけた。
美濃部亮吉
語録 憲法第四条にある、天皇は国家の元首という言葉は、いうまでもなく機関説である。 もし機関説を否定することになれば憲法を改正しなければならぬ。
語録 美濃部のことをかれこれ言うけれども、美濃部は決して不忠の者ではないと自分は思う。 今日、美濃部ほどの人が、一体何人日本におるか。
語録 機関と云う言葉が悪いと云う世論であるが、自分は悪いと断定する必要はないと思う。 御勅諭の中に「朕ヲ頭首ト仰キ」と仰せられている。頭首とは有機体たる人間の一機関である。 天皇を機関と仰ぎ奉ると思えば何の不都合もないではないか。 機関説排撃国体明徴と余り騒ぎ廻ること、殊に軍人が騒ぐのはいけない。
渡辺錠太郎 (軍事参議官)
語録 機関説事件でウルトラ・タカ派の役を演じた軍のいわゆる「皇道派」は、二・二六事件で その勢力を失うことになる。しかし、それに代って軍の ・・・・・・したがって日本の政治全体の支配権を握ったといわれる「統制派」が、 政治の軍国主義化ないしファッショ化の大勢をすこしでも抑制したわけではない。むしろ反対である。 機関説事件と二・二六事件を経て、日本の軍国主義化とファッショ化は、 いよいよ促進されたと見るべきである。
宮沢俊義 (憲法学者)
引用そもそも天皇機関説問題を攻撃する背後には平沼騏一郎(枢密院副議長)の策動があった。
平沼の狙いは敵本主義で、美濃部の追落しを、天皇機関説遵奉者と目されている一木喜徳郎枢府議長と 金森徳次郎法制局長官の失脚に及ぼし、これによって平沼自身が枢府議長に昇格し、 その勢力を宮廷、重臣間に伸ばそうというにあった。 狙いの二は、法制局長官辞職の責任により岡田内閣を倒すにあった。
引用国民は天皇機関説や国体明徴にはさっぱり関心がなかった。 国家存亡の危急とばかりに昂奮しているのは軍部、在郷軍人会、政党、右翼の一部だけであった。
だが、こうした軍人でも、単純に天皇尊崇の観念から天皇機関説に反対している「純粋」派と、 これを部内の派閥争いや倒閣運動に利用する「政治」派があったのはいうまでもない。
「純粋」派は隊付の陸軍青年将校、飛行機や艦に乗っている海軍将校に多く、 また一般在郷軍人の多くもそうだった。 そして彼らを利用する「政治」派は部内の反主流派ともいうべき皇道派、艦隊派に多く、 また、在郷軍人会では小林順一郎の三六倶楽部がそれにあたった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。