「粛軍に関する意見書」配布
1935/07/11
衝撃! 村中磯部三月事件十月事件の全貌を暴露。 士官学校事件永田一派の陰謀だぁ。
    
1931/03/17   三月事件 (陸軍によるクーデター未遂)
1931/10/17   十月事件 (桜会によるクーデター未遂)
1934/01/23   荒木陸相辞任 (後任:林銑十郎
1934/11/20   士官学校事件
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/07/11   「粛軍に関する意見書」配布
1935/07/15   真崎教育総監更迭 (後任:「統制派」渡辺錠太郎
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1936/02/26   二・二六事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用附録五点を含む長文のこの『意見書』は、今日、昭和史を語る上で、 声価ある史的資料となっている。
ついでにいえば、当時、リハルト・ゾルゲを中心とするコミンテルンの対日スパイ機関が、 翻訳して、モスクワの本拠に送ったと記録されている。 彼らは日本の国家権力を掌握しているのは軍部であり、その軍部の動向を左右するのは、 青年将校の動向であるとして、注目していたのである。
全勢力を傾けて書いた村中孝次磯部浅一は、や片倉の告発の域を越え、 その心情と主張を真正面から訴えかける。 同時に、宇垣から統制派に到る体制を痛烈に糾弾する挑戦状であった。
陸軍の現状を切実に憂え、「皇軍最近の乱脈は所謂三月事件十月事件なる逆臣行動を偽瞞隠蔽せるを動因」と断じて、 クーデター未遂の両事件の不始末が、現在の諸悪の根源と論破する。
陸軍の根幹を揺り動かす最大の焦点は「附録五」の『○○少佐の手記』である。
そこには、三月事件及び十月事件の経緯が詳細に書かれていて、真相暴露となっているが、 特に、三月事件については隠蔽されて来ただけに、その衝撃性は大きい。
執筆者の「○○少佐」とは、陸軍省(調査班)勤務の田中清少佐(二十九期、北海道)である。 田中は、村中の原隊である歩兵第二十七聯隊における先輩に当たる。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。