相沢事件 (永田軍務局長斬殺) 1935/08/12
taro's トーク
ああああああ
引用昭和十年八月十二日午前、東京三宅坂台上の陸軍省内の執務室で、
軍務局長永田鉄山少将は、現役の陸軍中佐によって斬殺された。
背部に二刀、こめかみに一刀、さらにとどめの一刀が咽喉部にくわえられ、
軍服はおびただしい出血に黒々とぬれ、絨毯の血の海に、即死同然の凄惨な姿を横たえるまで、
ほとんど一瞬の出来事であった。
兇行時間は午後九時四十五分頃、永田少将は五十一歳、加害者は剣道の達人として知られた相沢三郎中佐、
四十六歳。永田は陸士十六期、相沢は二十二期、軍政の中枢と隊付とそれぞれにコースは異なっても、
陸軍はえぬきの軍人であることにかわりはない。
この日の夕刊は、永田を危篤であると報じ、犯人は某隊付中佐とふせた陸軍省発表をのせたが、
この夕刊の解説記事にもあるように、「現役将校が白昼公務執行中の上長官に対し危害を加え『危篤』に陥らせたという事実は、
我が陸軍未曾有の重大事」であった。
澤地久枝 「暗い暦」
P.11この本を入手
引用八月十二日 ―。
午前五時半、久里浜の家を出た。
途中、渋谷区松濤の自宅に立ち寄って身支度し、午前八時半、三宅坂の陸軍省に出勤した。
その二階に、軍務局長室はあった。
猛暑の月曜日である。入り口のドアは開け放されていた。
入って左手に応接用の広い円形テーブルがあり、右手にある非常持出用の書棚の先に固定した木製衝立に並んで、
簀の衝立が立っていて、内部の様子が見えていた。
午前九時四十分過ぎ、永田は、南向きの窓を背に局長用テーブルに座って、
前の椅子に座る東京憲兵隊長新見英夫大佐、兵務課長山田長三郎大佐と打ち合わせをしていた。
その時、衝立の右側から、異様な形相の歩兵中佐が無言のままぬっと入って来た。
軍刀を抜いている。
殺気に気がついた永田は立ち上がった。
山田大佐はすっと出ていった。とされる。
永田はテーブルの前に廻って、隣の軍事課長室へ逃れようとした。
追って迫って来る中佐の腰に、新見英夫大佐がとびついたが、中佐に斬りつけられ、左上膊部に重傷を負い、
転倒して意識を失った。とされる。
倒れた永田は気丈にも、入り口の方へ這っていったが、応接用テーブル付近で力尽きた。
一瞬の出来事だった。
この「相澤事件」は、半年後に勃発する二・二六事件の導火線となり、時代を変えた。
升本喜年 「軍人の最期」
P.247この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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