政府、国体明徴声明A
1935/10/15
陸軍のお気に召すように、政府、今度ははっきり国体明徴を声明。
    
1935/02/19   天皇機関説問題 (菊池武夫、貴族院で天皇機関説を非難)
1935/04/06   真崎教育総監、全陸軍に国体明徴の訓示
1935/04/09   美濃部達吉の3著発禁 (売り切れ続出)
1935/08/03   政府、国体明徴声明@
1935/08/12   相沢事件 (永田軍務局長斬殺)
1935/09/18   美濃部達吉、貴族院議員辞職
1935/10/15   政府、国体明徴声明A (天皇機関説は国体に背くと明言)
1936/02/26   二・二六事件
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用政府も陸海軍共同で再声明の発表をこう逼られては譲歩のほかはなかった。 政府はいろいろと案をねったが、陸軍が一部の倒閣運動者と組んでいては、 どのような案も相手の気にいるような字句がない限りまとまる見込みはなかった。 倒閣運動者は政府声明文が学説の排撃を強調して、一木、金森の辞職にまで及ぶような字句にさせようとした。
政府としては再声明の文章はできるだけ抽象的表現にして犠牲の少ないことにつとめた。 政府は苦心してその文案をつくり軍部側と交渉したが、海軍のほうは大体政府案に近いものでまとまったのに、 陸軍は 【中略】 同意しなかった。
ところが十五日の閣議で陸軍も急に折れて政府案に近いところで妥協した。 原田日記はその裏話を次のように伝えている。
「《岡田首相の話》内閣の第二次声明案を海軍はすぐ承知したけれど、 それがまた陸軍に廻ったところ、陸軍では学説を排撃しようとして、学説にまで触れたいのであるけれども、 学説に触れることはこちらで避けてゐる。じつは今でも、 政府は清水澄博士(註・枢密顧問官)に内々相談して文案なんかを決めたのであったが、 ちょうど偶然にも陸軍大臣は清水博士を十四日の五時に官邸に呼んで、博士に声明についていろいろ質問した。 ところが博士からやはり『国家法人説を否定するやうなことがあると、まるで国の行政は動かなくなるし、 国際法なんかで国と国との条約などを結ぶことができなくなる』といふやうなことをはっきりきかせられたので、 陸軍も非常に驚いて、結局国家法人説を否定するやうな文案は作らないで、大体において内閣が或る程度まで 妥協できるやうな案を作って返して来た」
こうして十月十五日に国体明徴に関する再声明が内閣から出た。
「抑々我国に於ける統治権の主体が天皇にましますことは、我国体の本義にして、 帝国臣民の絶対不動の信念なり・・・・・・統治権の主体は天皇にましまさずして国家なりとし、 天皇は国家の機関なりとなすが如きいはゆる天皇機関説は神聖なる我国体に悖り、其本義を愆るの甚しきものにして、 厳に之を芟除せざるべからず」
「芟除」とは、つまみ取る、というほどの意味である。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。