斉藤隆夫「粛軍演説」
1936/05/07
“自由の砦” 斉藤隆夫、陸海軍に強く反省を要求。
    
1936/02/26   二・二六事件
1936/02/28   岡田内閣総辞職
1936/02/29   戒厳部隊、討伐行動開始 (→反乱軍帰順)
1936/03/06   陸軍(陸相予定者寺内寿一)組閣干渉 (自由主義者の排除を要求)
1936/03/09   広田内閣成立 (首相:広田弘毅
1936/03/23   陸軍、二・二六事件関係者の処分と人事異動を発表
1936/05/07   斉藤隆夫「粛軍演説」
1936/05/18   軍部大臣現役武官制復活
1936/09/21   陸海両相、広田首相に行政機構・議会制度改革案を提出
1936/11/25   日独防共協定調印
1937/01/21   浜田国松「割腹問答」
1937/01/21   寺内陸相、広田首相に解散を要求
1937/01/23   広田内閣総辞職
1937/01/29   宇垣内閣流産
1937/02/02   林内閣成立 (首相:林銑十郎
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用五・一五事件二・二六事件に対する国民反応の主な差違の一つは、 将校だけが行動したことと、将校が兵を道連れにしたこととの相違にある。
国民の軍部への憤懣を代表したのが、昭和十一年五月七日、第六九回特別帝国議会衆議院本会議での斎藤隆夫代議士寺内陸相に対する質問演説である。 斎藤は民政党の中堅で弁論の闘士として知られていた。
「社説」でも記事でも軍部に思うようにモノが云えなかった新聞は、 この斎藤質問演説を「真摯大胆にその言はんとする所を言ひ、粛軍の大義を宣明したものとして満場嵐の如き拍手裡に 深刻なる感銘を与へた。・・・・・・単に無責任なる批判乃至は放言に堕せず、言々句々粛軍の大義を説いて 陸相に詰め寄つた」とし、「議場は一種の悽愴味を呈し、異常なる緊張を呈した」と報道した。(朝日新聞)
「議場の嵐の如き拍手」は、 議員が言わんとして言い得ないでいることが斎藤の口から出たのに対する心からの賛同であった。 いわゆる他に凭って溜飲を下げたもの。 国民もまた新聞に載った斎藤演説の要旨に感動した。
議会での演説が万雷の拍手で議場を震わせたのは、前年二月二十五日、貴族院で行われた美濃部達吉の 「天皇機関説」演説以来である。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。