林内閣成立
1937/02/02
素直さを買われてのご指名。 そうとも知らず「越境将軍」やる気まんまんの首相就任。
詳細   
1937/01/21   浜田国松「割腹問答」
1937/01/21   寺内陸相、広田首相に解散を要求
1937/01/23   広田内閣総辞職
1937/01/25   宇垣一成に組閣命令
1937/01/29   宇垣内閣流産
1937/01/29   林銑十郎に組閣命令
1937/02/02   林内閣成立 (首相:林銑十郎
1937/03/31   食い逃げ解散 (会期最終日)
1937/04/30   総選挙[20] (民政党179、政友会175、社大党37、昭和会19、他56)
1937/05/31   林内閣総辞職
1937/06/04   近衛内閣@成立 (首相:近衛文麿
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用昭和十二年二月、陸軍内部の満州派の将校が林銑十郎内閣を成立させていた。 この中心は、参謀本部第一部長石原莞爾で、彼はかつての無産政党議員浅原健三を動かし、 政界上層部に林内閣を打診し、それを最終的に元老西園寺公望に納得させた。
引用の組閣は少くとも当初において石原の路線の下にすすんでいた。 そしてその組閣の眼目は、陸相に石原とともに満州事変の立役者であった板垣征四郎、海相に末次信正を得ようとするところにあった。 しかしこうした石原の動きは、すでに満州時代から対立のはじまっていた東条英機を含む軍中央部の一部から危懼の念をもってみられており、 はやがて石原グループをふりすてた。 板垣をあきらめ、十河らは憲兵の手で組閣本部から追放され、結局石原の計画は失敗に終るのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「林内閣」は「林銑十郎内閣」と同じ意味です。