水晶の夜
1938/11/09
ゲッベルス宣伝相にあおられ、全ドイツで反ユダヤ感情 暴発。
    
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1933/02/27   国会議事堂放火事件 (ベルリン)
1933/03/23   ドイツ議会、全権委任法を可決 (ヒトラー独裁体制確立)
1935/09/15   ニュルンベルク法公布 (ユダヤ人迫害の法制化)
1936/03/07   ドイツ軍、ラインラント進駐
1936/08/01   ベルリン五輪開催 (〜08/16)
1938/03/13   ドイツ、オーストリア併合
1938/09/30   ミュンヘン協定 (ドイツへのズデーテン割譲を決定)
1938/10/01   ドイツ軍、ズデーデン進駐
1938/11/09   水晶の夜 (ドイツ)
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1942/01/20   バンゼー会議 (ハイドリッヒ・アイヒマンら、ユダヤ人大量殺害を決定)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用ナチス政権下におけるユダヤ人の受難は、とどまるところを知らなかった。 一九三八年十一月九日の夜には、「水晶の夜」とよばれる悲劇が、ドイツ全土のユダヤ人のうえにおそいかかった。 それより二日前の十一月七日、パリで十七歳のポーランド系ユダヤ人少年が、ドイツ大使館員を射殺するという事件がおこった。 その動機は、ドイツに住んでいた彼の両親が国外追放の憂き目にあったことへの恨みであった。 ところが、ドイツ政府の宣伝相ゲッベルスは、これを国際的ユダヤ人のドイツに対する憎悪のあらわれだと宣伝し、 あらゆる手段でドイツ人の反ユダヤ主義感情をあおりたてた。 その結果、九日の夜には、ドイツのいたるところで、ユダヤ教会が焼かれ、七千軒にのぼるユダヤ人の商店が破壊され、 約三千人のユダヤ人がとらえられて強制収容所におくられ、さらに、九十人の死者がでるという悲劇がくりひろげられたのだった。
しかもこの事件の直後から、ナチス指導者のあいだでは、「ユダヤ人問題の最終的解決」という不吉なことばが口にされるようになった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。