ヒトラー、ボヘミア・モラビアの保護国化宣言 (チェコ解体)
1939/03/16
英仏に見捨てられて、小国の悲哀。 独立国チェコ、解体・消滅へ。
    
1935/03/06   ドイツ、再軍備宣言
1935/06/18   英独海軍協定調印
1935/10/21   ドイツ、国際連盟脱退
1936/03/07   ドイツ軍、ラインラント進駐
1936/10/25   イタリア外相チアノ、ベルリン訪問 (ローマ・ベルリン枢軸)
1936/11/25   日独防共協定調印
1938/02/04   ヒトラー、統帥権掌握 (国防相、陸軍司令長官を解任)
1938/03/13   ドイツ、オーストリア併合
1938/09/29   ミュンヘン会談
1938/09/30   ミュンヘン協定 (ドイツへのズデーテン割譲を決定)
1938/10/01   ドイツ軍、ズデーデン進駐
1938/10/05   ベネシュ(チェコ)大統領辞任、亡命
1939/03/16   ヒトラー、ボヘミア・モラビアの保護国化宣言 (チェコ解体)
1939/03/21   ドイツ、ポーランドにダンチヒ割譲を要求 (03/26 ポーランド拒否)
1939/03/23   ドイツ、メーメル(リトアニア)併合
1939/05/22   独伊軍事同盟(鋼鉄協約)調印
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用ミュンヘン協定によってズデーテン地方をドイツに割譲させられたチェコスロヴァキアでは、 一九三九年に入るとスロヴァーク人、ルテニア人の自治権要求の運動が激化したが、この背後では、 チェコスロヴァキアの解体をねらうナチス・ドイツが、ひそかに糸をひいていた。
事態が紛糾の極に達すると、三月十四日、スロヴァキアの指導者ティソ神父は、 ドイツを後ろ楯に独立を宣言、一方、ヒトラーは、チェコスロヴァキア大統領ハーハをベルリンに呼びつけて、 ボヘミア・モラヴィア両地方のドイツ保護国化を要求した。
ハーハが外相をともなってヒトラーの待ちうける会議室におもむくと、机上には、 「チェコスロヴァキア大統領はチェコ国民の運命を信頼の念とともにドイツ帝国総統の手中にゆだねる」 という途方もない文書が準備されていた。 文面をすこしでも緩和しようとするハーハの努力は、すべて無駄であった。 ドイツ側は、署名を拒否すれば八〇〇のドイツ機で首都プラーハを猛爆すると威嚇し、それぞれペンと文書を手にした リッベントロップゲーリングが、ためらうハーハを机のまわりを追いまわした。 心痛のあまり二度も失神した老ハーハは、そのたびに強壮剤で覚醒させられ、気力もつきて十五日早朝、文書に署名した。
このときすでに国境を越えていたドイツ軍は、即日チェコ全土を占領し、 またハンガリーがカルパト・ルテニア地方をかすめとった。 この混乱した情勢を利用して、イタリアはアルバニアを占領、ドイツはまた、 ヴェルサイユ条約のいま一つの申し子ポーランドをつぎの侵略目標に選定していた。 将来の対西方戦のことを考えると、ナチス・ドイツとしては、どうしても東隣りのポーランドをとりこにして 背後の安全をかためておきたいところであったのであるが、ポーランドは属国化を潔しとしなかったので、 ヒトラーは、ダンツィヒ自由市のドイツ帰属その他の要求を押しつける一方、 ひそかにポーランド粉砕の軍事作戦を準備しはじめたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。