ヒトラー、ボヘミア・モラビアの保護国化宣言 (チェコ解体) 1939/03/16
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用ミュンヘン協定によってズデーテン地方をドイツに割譲させられたチェコスロヴァキアでは、
一九三九年に入るとスロヴァーク人、ルテニア人の自治権要求の運動が激化したが、この背後では、
チェコスロヴァキアの解体をねらうナチス・ドイツが、ひそかに糸をひいていた。
事態が紛糾の極に達すると、三月十四日、スロヴァキアの指導者ティソ神父は、
ドイツを後ろ楯に独立を宣言、一方、ヒトラーは、チェコスロヴァキア大統領ハーハをベルリンに呼びつけて、
ボヘミア・モラヴィア両地方のドイツ保護国化を要求した。
ハーハが外相をともなってヒトラーの待ちうける会議室におもむくと、机上には、
「チェコスロヴァキア大統領はチェコ国民の運命を信頼の念とともにドイツ帝国総統の手中にゆだねる」
という途方もない文書が準備されていた。
文面をすこしでも緩和しようとするハーハの努力は、すべて無駄であった。
ドイツ側は、署名を拒否すれば八〇〇のドイツ機で首都プラーハを猛爆すると威嚇し、それぞれペンと文書を手にした
リッベントロップとゲーリングが、ためらうハーハを机のまわりを追いまわした。
心痛のあまり二度も失神した老ハーハは、そのたびに強壮剤で覚醒させられ、気力もつきて十五日早朝、文書に署名した。
このときすでに国境を越えていたドイツ軍は、即日チェコ全土を占領し、
またハンガリーがカルパト・ルテニア地方をかすめとった。
この混乱した情勢を利用して、イタリアはアルバニアを占領、ドイツはまた、
ヴェルサイユ条約のいま一つの申し子ポーランドをつぎの侵略目標に選定していた。
将来の対西方戦のことを考えると、ナチス・ドイツとしては、どうしても東隣りのポーランドをとりこにして
背後の安全をかためておきたいところであったのであるが、ポーランドは属国化を潔しとしなかったので、
ヒトラーは、ダンツィヒ自由市のドイツ帰属その他の要求を押しつける一方、
ひそかにポーランド粉砕の軍事作戦を準備しはじめたのである。
村瀬興雄 「世界の歴史(15)」
P.421この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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