独ソ不可侵条約締結
1939/08/23
誠意のない英仏を見限り、現実主義者スターリンヒトラーとひと時だけの握手。
    
1938/09/30   ミュンヘン協定 (ドイツへのズデーテン割譲を決定)
1938/10/01   ドイツ軍、ズデーデン進駐
1939/03/16   ヒトラー、ボヘミア・モラビアの保護国化宣言 (チェコ解体)
1939/03/21   ドイツ、ポーランドにダンチヒ割譲を要求 (03/26 ポーランド拒否)
1939/03/23   ドイツ、メーメル(リトアニア)併合
1939/05/22   独伊軍事同盟(鋼鉄協約)調印
1939/08/12   英仏ソ3国軍事協定交渉開始 (〜08/21/モスクワ)
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/08/28   平沼内閣総辞職 (欧州の天地は複雑怪奇)
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1939/09/03   英仏、対独宣戦布告
1939/09/17   ソ連軍、ポーランド東部に侵攻開始
1939/09/27   ワルシャワ陥落
1939/11/03   ソ連軍、フィンランド侵攻開始 (ソ・フィン戦争勃発)
1940/04/09   ドイツ軍、ノルウェー侵攻開始
1940/04/09   ドイツ軍、デンマーク無血占領
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1941/06/22   独ソ戦開始
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用八月二十一日の晩おそく、ヒトラーは、待ちのぞんでいたスターリンからの回答をようやく手にする。 それは、きたる二十三日に独ソ不可侵条約に調印するために、ドイツ外相リッベントロップのモスクワ訪問をみとめるという趣旨のものだった。
二十三日昼、リッベントロップをのせた四発の大型輸送機がもモスクワの飛行場にすがたをあらわした。 機は、ソヴェートの国旗とナチスの鉤十字旗とが仲よくならんではためくまえで、滑走をとめた。 ドイツ国歌とインターナショナルが、ドイツからの客を歓迎するために鳴りひびいた。
モスクワにおける独ソ交渉の仕上げは、まことに友好的な雰囲気のうちにすすめられた。 リッベントロップは、スターリンモロトフといっしょにいるとき、 「古くからの党の仲間のあいだにいる」ような気持になった。 スターリンスターリンで、「ドイツ国民がいかに彼らの総統を愛しているかを、わたしはよく知っている」といって、 すすんでヒトラーの健康のために乾杯した。
このような雰囲気のなかで成立をみた独ソ不可侵条約は、つぎのような内容のものであった。 (一)いずれの締約国も相手側を攻撃しない。(二)もしも締約国の一方が第三国の「戦争行為の対象」になる場合には、 他の締約国は、この第三国をいかなるかたちにおいても支持しない。 (三)締約国のいずれも、他方を直接・間接の対象とするようないかなる国際集団にも参加しない。
なお、この不可侵条約と同時に、秘密付属議定書の調印もおこなわれた。 それは、東ヨーロッパにおける独ソ両国の利益範囲を相互にとりきめたもので、とくにポーランドに関しては、つぎのように定められていた。
「ポーランドに属する地域の領土的・政治的変更がおこなわれる場合には、ドイツとソヴェートの利益範囲は、 ほぼナレフ、ヴィスワ、サン川の線によって境界づけられる」
第二次大戦がおわってのちも、ソヴェートは、長らくこの独ソ秘密議定書の存在をみとめることをこばんできた。
【中略】
ヒトラーは、右のようなスターリンとの事前のとりきめによって、 きたるべきポーランド攻撃をソヴェートに対するなんらの気兼ねなしに実行できることとなった。 もはや、ドイツの侵略に対して西方諸国とソヴェートが提携することをおそれる必要はなくなったのだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。