英仏、対独宣戦布告
1939/09/01
譲歩に譲歩を重ねてきた英仏、かすかに未練を残しつつ、2日後の宣戦布告。
    
1939/03/21   ドイツ、ポーランドにダンチヒ割譲を要求 (03/26 ポーランド拒否)
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1939/09/03   英仏、対独宣戦布告
1939/09/17   ソ連軍、ポーランド東部に侵攻開始
1939/09/27   ワルシャワ陥落
1939/11/03   ソ連軍、フィンランド侵攻開始 (ソ・フィン戦争勃発)
1940/04/09   ドイツ軍、ノルウェー侵攻開始
1940/04/09   ドイツ軍、デンマーク無血占領
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/05/27   イギリス軍、ダンケルク撤退開始 (06/04 撤退完了)
1940/06/10   イタリア、英仏に宣戦布告
1940/06/14   ドイツ軍、パリ入城
1940/06/17   ソ連軍、エストニア・ラトビア両国に進駐
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用議会をひきあげた閣僚の一部は、蔵相G・サイモンの部屋に集結した。
内相兼保安相J・アンダソン、陸相L・ホアペリシャ、ランカスター公領尚相W・モリソン、植民地相M・マクドナルド、 農漁相R・ドーマンスミスの五人である。
農漁相ドーマンスミスによれば、蔵相サイモンを中心にした六人は、厳粛に決議した。
「われわれは(対独)宣戦まで、この部屋を離れない。 われわれはストライキに入る」
午後九時すぎ、蔵相サイモンは首相に電話して一同の決心を伝え、速やかな決断と閣議招集を建議した。
首相チェンバレンは、突然の“閣僚スト”に仰天した。 外相ハリファクス卿を招き、震える声で告げた。
「紳士が労働者をまねてストライキだという。 恐ろしい世の中だ・・・・・・このぶんでは、われわれが立場を明らかにしないと、 内閣は明日の議会再開までもたないだろう」
外相も同感に意を表明し、問題はフランスの態度如何である、このさい仏首相と直接に交渉してみてはどうか、と進言した。
首相は承知し、午後九時五十分、仏首相ダラディエに電話した。
フランス側の態度は、しかし、それまでの間にさらに「英国離れ」の傾向を強める気配をみせていた。
仏閣議は、【中略】 午後七時半からはじまり、ロンドンで一部閣僚がストライキを議決した午後八時半頃、終った。
閣議では、翌日正午に予期されるドイツの回答待ちをしたい、それまでは行動に出まい、という外相ボネの提案に、 植民地相G・マンデル以外の全閣僚が賛成した。
閣僚たちの胸中には、英国がフランスを戦わせようとしている、そそのかされて英国のために血を流すのはまっぴらだ、 という想いが共通してわだかまっていた、と外相ボネは回想する。
「たまには英国の一歩あとを歩く、その楽しみを教授してもいいと思うがね」
運輸相A・ドモンジーがいうと、陸軍参謀総長ガムラン大将が、したり顔でつけ加えた。
「英国に同意してもよろしい。 ただし、英国側がわが国の防衛のために英空軍をわれわれの指揮下に置く、というのであればですが・・・・・・」
運輸相ドモンジーは、英国がドイツ軍撤兵にこだわるのなら、 たとえば「数マイル程度の象徴的撤兵」をドイツ側に打診してはどうか、と提案した。
この「象徴的撤兵」案は、外周ボネからイタリヤ外相チアノに伝えられ、すでに仲介中止をドイツ側にも通告していたチアノに、 にべもなく拒絶される。
以上―のような仏政府の様子は、英首相チェンバレンは知らない。
首相は、仏首相ダラディエに自身の困難な政治的環境を報告し、 とても明日正午まで待って四十八時間の期限付き最後通告をだす方策には同意できない、 今夜じゅうに決断しないと内閣は倒れる、と訴えて、英国側の腹案を伝えた。
「当方としては、明朝午前八時にドイツに最後通告を渡し、正午までに受諾回答なければ同時刻に戦闘状況に入ることにしたい」
仏首相ダラディエは、とにかく何事も翌日正午まで待ちたい、といい、 参謀総長ガムラン大将の発言を想い浮かべながら、主張した。
「いずれにせよ、英空軍がいま出動できないのであれば、 フランス軍にたいする(ドイツの)攻撃を数時間でも遅らせるべきだと思う」
仏首相ダラディエは、そういうと、いまはこれ以上はいえぬ、また電話する、といって電話をきった。
その直後、午後十時、また駐ポーランド大使ケナードから英国の宣戦を勧告する急電が英外務省に届き、 午後十時三十分、こんどは英外相ハリファクス卿が仏外相ボネに電話した。
英外相は、英国は単独でも対独最後通告をせざるを得ない事情にある、と強調した。
仏外相ボネは、あわてた。 そのような事態になっては、英仏の離間と分裂を全世界に宣伝することになるし、仏国民に孤立感を与えかねない。
仏外相は、両国の共同動作が望ましい、と応えたが、なお翌日正午まで待てぬかといい、 英外相は、それでは英政府が倒れる、と反対した。
「正午を重視されるなら、英国は午前八時、貴国は正午に最後通告をだすことにしてはいかがか」
仏外相は、婦女子の疎開に時間が必要だ、と指摘したが、結局は、 翌日に英国より四時間遅れの正午に対独最後通告を提出することに同意した。
「では、そのさい、ドイツ側の回答期限は午後六時までとされることを勧告する」
この英外相の進言に仏外相は答えなかったが、英国側にとっては、 フランスが後続を約束したことで最後通告つまりは宣戦の方針を確定した。
英首相チェンバレンは、午後十一時すぎ、蔵相執務室で「坐り込みスト」を決行中の閣僚六人にも連絡して、 緊急閣議をひらいた。 スト閣僚たちは、待機中にアルコールで気勢をあげていたので、プンプンと酒臭をまきちらしながら集合した。
首相チェンバレンは、英政府としては明朝午前八時に最後通告、議会再開の正午に宣戦という筋書を考案したが、 フランス側の同意は得られなかった、と経緯を説明した。
閣僚たちは、ときに質疑をはさみながらも、首相が決断を下したことに敬意を表明し、冷静な態度で終結した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。