汪兆銘(南京)政府成立
1940/03/30
近衛声明@で断ち切れた戦争終結への道ひらくため、南京にかいらい政権を樹立。
    
1937/07/07   盧溝橋事件 (日中戦争勃発)
1938/01/16   近衛声明@ (国民政府を相手にせず)
1938/11/03   近衛声明A (東亜新秩序建設)
1938/12/20   汪兆銘、ハノイへ脱出 (影佐工作成功)
1938/12/22   近衛声明B (近衛三原則)
1939/01/01   中国国民党、汪兆銘を永久除名
1940/03/30   汪兆銘(南京)政府成立
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1944/11/10   汪兆銘没 (名古屋)
〜 日本政府のシナリオ 〜
国民政府を相手にせず → 影佐工作 → 汪兆銘政府成立 → 汪兆銘政府と講和
taro's トーク ああああああ
引用傀儡政権工作の最後にして最大のものは、 四〇年三月に成立した汪精衛の「国民政府」(南京)である。 蒋介石の最大のライバルとして国民党内に重きをなしていた汪精衛は、早くから「焦土抗戦」に反対し、 全土が破壊されないうちに和平を図るべきだと主張していた(毛沢東のいう「亡国論」)。 ひそかに日本側と連絡をとりながら三八年末に重慶を脱出した彼は、 はじめ非占領地区(四川か雲南)に支持勢力を結集して反政権を樹立し、 日本との和平交渉をまとめようとした。 しかし呼応する勢力は全く現われず、支持基盤をもたぬ汪精衛は、結局日本側のいいなりに各地の「政権」を統合した 傀儡「中央政府」をつくるほかなかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。