イタリア、英仏に宣戦布告
1940/06/10
洞が峠のムッソリーニ、こりゃあドイツについた方がお得だわいと、突如参戦。
    
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1939/09/03   英仏、対独宣戦布告
1939/09/17   ソ連軍、ポーランド東部に侵攻開始
1939/11/03   ソ連軍、フィンランド侵攻開始 (ソ・フィン戦争勃発)
1940/04/09   ドイツ軍、ノルウェー侵攻開始
1940/04/09   ドイツ軍、デンマーク無血占領
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/05/13   オランダ、ロンドンに亡命政権樹立
1940/05/27   イギリス軍、ダンケルク撤退開始 (06/04 撤退完了)
1940/06/10   イタリア、英仏に宣戦布告
1940/06/14   ドイツ軍、パリ入城
1940/06/18   ド・ゴール将軍、自由フランス委員会設立 (ロンドン)
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1940/09/13   イタリア軍、エジプト侵攻開始
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/28   イタリア軍、ギリシア侵攻開始
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用外相リベントロップには「五月ごろ」の参戦をほのめかしたが、 イタリヤ経済はとても早期の参戦を許さぬ事情にあった 【中略】。
軍備は遅れに遅れ、中には前世紀の「赤シャツ」党首G・ガリバルジ時代の旧式砲を配備されている部隊もあり、 軍需相C・ファバグロッサは、二月末、次のように首相ムソリーニに報告していた。
「全産業が二十四時間操業をつづけたとして、わが国が十分な軍備をととのえ得るのは、 最も早い時期が一九四九年です。 たぶん、実際には一九五九年までかかりましょう」
金融相R・リカルディは、
「わが国は年間二千五百万トンの食糧を輸入している。 中立を放棄すればこの輸入は絶えてしまう」
と述べ、「参戦即飢餓」だと強調した。
このような事情では、首相ムソリーニとしては「国家を救う」ために参戦を拒否せざるを得ない。
首相ムソリーニは、三月十六日、外相チアノに、ヒトラーには、参戦には同意する、 しかしその時期を選ぶ権利は保留するというつもりだ、と語り、肩をすくめてつけ加えた。
「昔話に、絞首刑をいい渡された罪人が、最後の頼みをきいてやるといわれて、 首をつられる樹を選ばせてくれ、といって許可された。 そして、結局は、どの樹も気にいらぬといいつづけて生きのびた、という話だ」
これでいこうじゃないか、と首相ムソリーニは自嘲の意をこめた苦笑まじりにいい、 外相チアノも冴えない表情でうなずき、二人は三月十七日午後一時三十分、特別列車でローマを出発した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。