近衛文麿、枢密院議長辞任
1940/06/24
新体制運動にまい進! 近衛フィーバーに油をそそぐ枢密院議長の辞任。
    
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1940/06/24   近衛文麿、枢密院議長辞任 (新体制運動推進を決意)
1940/07/16   畑陸相、単独辞任 (陸軍、後任推薦拒否)
1940/07/16   米内内閣総辞職
1940/07/17   近衛文麿に組閣命令
1940/07/19   荻窪会談 (近衛松岡東條吉田
1940/07/22   近衛内閣A成立 (首相:近衛文麿
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 木戸も辞めた方がいい、この内閣もそう永くないようだから、そろそろ後の用意でもした方がよいと言うし ・・・・・・それで辞める気になった。
近衛文麿 (枢密院議長)
引用三月下旬から盛り上がって来た近衛新党運動は、六月中旬最高潮に達し、二十四日近衛は枢府議長を辞し、 新党総裁として次期政権を担当する意欲を示した。 加盟を予想されるのは政友会久原派、中島派、民政党永井派、社会大衆党麻生派ら百余名の代議士で、 すでに三月二十五日「聖戦貫徹議員連盟」を結成していた。 新党の目的は、日華事変の解決、破竹の進撃をみせるドイツとの協調、三国同盟の締結、ナチス流の一国一党組織の結成で、 表面上軍部の勢力を抑えるのが目的という者もいたがそれは無理で、 むしろ陸軍に便乗して利益を得ようと考えている者も少なくなかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。