御前会議、日独伊三国軍事同盟締結を決定
1940/09/19
松岡外相と陸軍に引きずられて、御前会議、運命の決定。
    
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/05/27   イギリス軍、ダンケルク撤退開始 (06/04 撤退完了)
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1940/07/27   大本営政府連絡会議、「南進」「枢軸強化」を決定
1940/09/07   ドイツ空軍、ロンドン爆撃開始
1940/09/09   松岡・スターマー(ドイツ特使)会談
1940/09/19   御前会議、日独伊三国軍事同盟締結を決定
1940/09/23   北部仏印進駐
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   ヒトラー、英本土上陸作戦(あしか作戦)中止を決定
1940/12/18   ヒトラー、ソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)準備を指令
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用阿川 【中略】 「日独伊三国同盟」締結が決まった一九四〇(昭和15)年九月、近衛首相が宮中で気を失ったという話を、戦後、 日本医師会会長を長くつとめた“喧嘩太郎”こと、武見太郎さんから直接聞いたことがあります。 武見さんは、当時銀座に診療所を開いていたのですが、その日、宮内省から至急の呼び出しがかかった。 行ってみると、近衛さんがもう目を醒ましてソファに座ってたそうですがね。 「どうなさいました?」と訊ねると、実は昼食のあと、陛下から庭を歩こうと言われて、ご一緒に散歩していた。 すると突然、陛下が「三国同盟がいよいよ成立することになった、これで国民がさぞ難儀するだろうね」とおっしゃった。 それを聞いた途端、すーっと気が遠くなった、というのです。
中西 まさにその瞬間に、日本の運命は決まったわけですね。 三国同盟の成立で、真珠湾奇襲攻撃に始まる日米戦への流れは決定的に避け得なくなった、と私は思います。 四〇年の九月といえば、フランスはすでにヒトラー征服されており、 「バトル・オブ・ブリテン」の最中で、イギリスはすでに風前の灯火であった。 アメリカがこれを見捨てていられるはずはなく、遅かれ早かれ対独参戦は誰の目にも明らかだったのに、 そのドイツと同盟したわけですから。 言ってみれば、「ミズーリ号への道」はここで決定づけられたわけです。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。