近衛内閣A成立
1940/07/22
国民の熱狂の中、こりない近衛さん、再登場。 で、日本はどうなる!?
[詳細]   
1940/06/24   近衛文麿、枢密院議長辞任 (新体制運動推進を決意)
1940/07/16   畑陸相、単独辞任 (陸軍、後任推薦拒否)
1940/07/16   米内内閣総辞職
1940/07/17   近衛文麿に組閣命令
1940/07/19   荻窪会談 (近衛松岡東條吉田
1940/07/22   近衛内閣A成立 (首相:近衛文麿
1940/08/15   民政党解党 (以後無政党状態)
1940/09/23   北部仏印進駐
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   大政翼賛会発足
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/04/16   日米交渉開始
1941/06/22   独ソ戦開始
1941/07/02   御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/02   大本営、「関特演」発動
1941/07/16   近衛内閣A総辞職
1941/07/18   近衛内閣B成立 (首相:近衛文麿
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 昨夜近衛の放送を聴いたが、声はいいし非常によかった。 しかし内容はパラドックスに充ちていて、自分には少しもわからなかった。うまくやってくれればいいが。
西園寺公望 (元老)
引用昭和一五年七月二二日、近衛文麿は三年前につづいて二度目の内閣を組織した。 この日午後七時に参内した近衛は閣員名簿を天皇に捧呈し、八時には宮中で近衛首相の親任式、 九時に閣僚の親任式が行なわれたのであった。 翌二三日夕、近衛は「大命を拝して」と題するラジオ放送を行なった。 その中で彼は、世界情勢の一変に対応して国内体制の一新を図らねばならぬとし、とりわけ、 政党を「立党の趣旨において、自由主義をとり、民主主義をとり、或は社会主義をとって、 その根本の世界観人生観が、既に国体と相容れ」ず、 またその目的が政権争奪にあることは「立法府における大政翼賛の道では断じてない」として非難した。 そのほか、日本独自の立場で外交をすすめること、そのためにはまた、日本経済を外国依存から脱却せしめて、 満州・中国との提携、南洋方面への発展を要すること、国民生活は確保するが、 しかし増産と節約が不可欠なこと、個人の創意を重んずるが、種々の統制は不可避だということ、 教育の刷新が根本だということなどをのべた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「近衛内閣A」は「第2次近衛内閣」「第二次近衛文麿内閣」と同じ意味です。