近衛内閣A成立 1940/07/22
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用昭和一五年七月二二日、近衛文麿は三年前につづいて二度目の内閣を組織した。
この日午後七時に参内した近衛は閣員名簿を天皇に捧呈し、八時には宮中で近衛首相の親任式、
九時に閣僚の親任式が行なわれたのであった。
翌二三日夕、近衛は「大命を拝して」と題するラジオ放送を行なった。
その中で彼は、世界情勢の一変に対応して国内体制の一新を図らねばならぬとし、とりわけ、
政党を「立党の趣旨において、自由主義をとり、民主主義をとり、或は社会主義をとって、
その根本の世界観人生観が、既に国体と相容れ」ず、
またその目的が政権争奪にあることは「立法府における大政翼賛の道では断じてない」として非難した。
そのほか、日本独自の立場で外交をすすめること、そのためにはまた、日本経済を外国依存から脱却せしめて、
満州・中国との提携、南洋方面への発展を要すること、国民生活は確保するが、
しかし増産と節約が不可欠なこと、個人の創意を重んずるが、種々の統制は不可避だということ、
教育の刷新が根本だということなどをのべた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「近衛内閣A」は「第2次近衛内閣」「第二次近衛文麿内閣」と同じ意味です。 |