南部仏印進駐 1941/07/28
〜 南部仏印の戦略的意味 〜
シンガポール(イギリスの軍事拠点)や蘭印(石油など資源の宝庫)への爆撃が可能
taro's トーク
日本軍の南部仏印進駐に対する報復措置として、アメリカなどABCD包囲網が日本への石油輸出を禁止する。
これにあわてたのが海軍だ。
どんな最新鋭の艦船も航空機も、石油がなければただの鉄の塊だから、これは当然だろう。
で、これを境に海軍内の早期開戦論がガ然強まる。
やるなら、石油の備蓄があるうちに、というわけだ。
9月6日の御前会議の決定にはこういう背景があった。
ところで、これに関して、taroはショッキングな記述を目にした。
海軍出身の作家、吉田俊雄の「四人の軍令部総長」の中でだ。
軍令部は、南部仏印進駐に先立って、情報部長を現地に派遣し、米英の動向をさぐらせた。
その結果は、進駐しても武力衝突は起こらない、石油禁輸はあるかもしれない、というものだった。
おいおい、じゃあ、石油の輸出禁止は予想できていたのか。
なのに、どうして海軍は南部仏印進駐にGoサインを出したんだ。
いったいどうなってるんだ。
今さらあわくるtaroであった。
引用南方の資源を欲する日本の軍部が、南ベトナムの地を支配し軍事基地を設けることには理由があった。
当時の軍用機の航続距離から、それは戦略的要衝シンガポールも、経済戦略上の焦点である蘭印も、
日本軍の爆撃圏におさめることを意味したからである。
陸海軍作戦参謀のうちにも、それをもって威圧しつつ外交的に資源へのアクセスを得ようとする者と、
直接的に武力により獲得せんとする者とがあったが、いずれにせよ、戦略的な利点ゆえにこそ、
日本軍部は南部仏印進駐を強く求めたのであった。
同じ理由で、だからこそワシントンはこれだけは放置できないと眼をつり上げたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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