御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/02
南も北も攻めたいぞ。 そんな無茶な。 無茶を決定、御前会議。
    
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1941/03/12   松岡外相訪欧 (03/26 ベルリン到着)
1941/04/13   日ソ中立条約調印
1941/04/16   日米交渉開始
1941/04/22   松岡外相帰国 (日米交渉に大反対)
1941/06/17   日蘭交渉打切り (石油交渉は継続)
1941/06/22   独ソ戦開始
1941/07/02   御前会議、「南進」「北進準備」を決定
1941/07/02   大本営、「関特演」発動
1941/07/16   近衛内閣A総辞職
1941/07/18   近衛内閣B成立 (首相:近衛文麿
1941/07/25   アメリカ、日本資産の凍結
1941/07/28   蘭印、日蘭石油民間協定を停止
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用作戦部長の論と軍務局長の論とをすり合わせて、六月十四日の陸軍案が生まれた。 それは、好機を捉えて南方に、さらに独ソ戦が「極めて有利なら」北方にも武力行使する、というものであった。 さすがに、田中の好機「作為」論は抑えられたが、二ヵ月前の「好機武力行使の否定」という路線は、あっけなく吹き飛ばされた。 優先順序はつけたものの、南進と北進の両方を作戦計画に組み入れる方針で、陸軍内は合意したのである。
これに対する海軍案が、二十日に示された。 それは、南進第一、北進第二、の陸軍提案に同意するかたちをとりつつ、第一と第二のあいだに本質的相違を設定するものであった。 すなわち、無条件に「南方要域進出の歩を進め」るとし、そのためには「対英米戦を賭するも辞せず」との、 驚くべき修辞をはじめて日本の公文書に登場させたのである。 その真意は、英米戦にのめり込みたいということではなかった。 陸軍と松岡外相が本気でやりたがっているようにみえる北進を、 海軍としては何としても阻みたいあまりに噴出した言葉と考えた方が正しいであろう。 どうせ戦う決意もなく、戦備と予算ばかり欲しがる海軍、と難じられないためにも、これぐらいの決意を記したかったのであろうか。 この政府内の駆け引き上の必要から派生した言葉が、しかし日本の運命を導くことになるのである。 言葉は言霊であり、人や集団を時として呪縛する。
引用七月二日、独ソ戦という情勢の変化に対処するための国策である「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」が、御前会議で可決された。
その内容は、すでに決定した南部仏印進駐による南方進出策に、独ソ戦に応ずる対ソ攻撃準備をつけ加えたものだが、 南方進出については「対英米戦ヲ辞セズ」と規定されながらも、北進についての姿勢は消極的になっていた。
独ソ戦には「介入スルコトナク」、「密カニ対『ソ』戦力的準備」をととのえ、 独ソ戦の推移が「有利ニ進展」すれば武力を行使する、という。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。