御前会議、対米開戦を決意
1941/09/06
天皇の抵抗も実らず、外交交渉のタイムリミットを1ヵ月半後に設定。 ああ!
    
1940/05/10   ドイツ軍、西部戦線に総攻撃開始
1940/06/22   フランス(ペタン政府)降伏
1940/07/27   大本営政府連絡会議、「南進」「枢軸強化」を決定
1940/09/23   北部仏印進駐
1940/09/27   日独伊三国軍事同盟調印
1940/10/12   ヒトラー、英本土上陸作戦(あしか作戦)中止を決定
1941/06/22   独ソ戦開始
1941/07/02   大本営、「関特演」発動
1941/07/25   アメリカ、日本資産の凍結
1941/07/28   蘭印、日蘭石油民間協定を停止
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/01   乗用自動車のガソリン使用全面禁止
1941/10/16   近衛内閣B総辞職
1941/10/17   白紙還元の御諚
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用天皇の異例の発言は、御前会議出席者にひとしく衝撃を与えた。 だがまことに不思議なことに、九月三日に政府が決定した「帝国国策遂行要領」の内容は、六日の会議で何も変更されず、 そのまま了承され国家の最高政策として権威づけられた。 重ねて天皇から叱責された杉山永野の陸海軍トップは平身低頭して恐懼の極みを体で表現した。 しかし、名誉をまっとうできなかったときには切腹した武人の伝統は、彼らの遺伝子には受け継がれていなかったようである。 政策変更も引責辞任も、具体的な対応を何もしなかった。 天皇の発言は独り言として扱われたに等しかった。
一人だけ真剣に修正を含めた対応を考えた者がいた。 東条英機陸相である。 東条は陸軍省に戻ると「聖慮は和平であるぞ」と大声を発し、部下を集めて会議の次第と衝撃をそのままに伝えた。 さらに武藤軍務局長と長時間の談合のあと、聖慮を重んじ、外交に力を注ぐ方針を打ちだした。 ここに東条が軍人の中で最有力の存在として大をなし、天皇にも厚く信頼されるに至った所以が示されているであろう。 重大にして複雑な事態に直面して自らの観点と判断力をもてず、「決意」を迫る中堅幕僚の「内圧」にうろたえる指導者が少なくなかったが、 そんな中で、東条は問題に正面から取り組む生真面目さと勤勉さがあった。 さらには本気の尊皇思想の持ち主であったこともあった。 御前会議での天皇の発言を重く受けとめたのであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。