マレー半島上陸開始
1941/12/08
総攻撃の先陣をきって、「マレーの虎」山下中将 率いる第25軍、未明のマレー半島に上陸。
    
1941/07/28   蘭印、日蘭石油民間協定を停止
1941/07/28   南部仏印進駐
1941/08/01   アメリカ、対日石油輸出禁止
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/16   近衛内閣B総辞職
1941/10/17   東條英機に組閣命令
1941/10/17   白紙還元の御諚
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/11/26   野村・来栖両大使、ハル・ノートを受領
1941/12/01   御前会議、対米開戦決定
1941/12/08   マレー半島上陸開始 (AM02:00)
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1941/12/08   対米最後通告 (AM04:20)
1941/12/08   宣戦の大詔 (AM11:45)
1941/12/10   マレー沖海戦
1941/12/25   香港のイギリス軍降伏
1942/01/02   日本軍、マニラ占領
1942/02/15   シンガポール攻略
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用マレー作戦成功の原因の一つは、食料その他を現地徴発に頼る方針を立て、 補給部隊を持たずに行ったことで、そのため軍を身軽にし、行動をすみやかならしめることができた。 また輸送に馬を使用せず、自動車部隊と自転車隊を利用したことが、日本軍の進撃速度を高めた。 これらは池谷との合致した意見によるものであった。
この作戦のもう一つの特徴は、半島の北から南まで全長一千キロを通ずる道路が一本しかなく、 両側は鬱蒼たるジャングルで被われているという特殊の地形を活用したことにあった。 この地形の研究を、はこの年の六月、海南島で充分やっていた。 すなわち、海南島の海岸線を一周すれば、一千キロあり、これを直線に引き伸ばすと、 ちょうどマレー半島の長さに相当する。 なお、じりじり照りつける炎天、ときどきやって来る驟雨、一本道、沿道の熱帯林など、 すべてが両者共通していた。 海南島の演習は、そのままマレーの実戦に役立った。
日本軍は驚異的な速度で英軍を急追し、開戦以来七十日でシンガポールを陥落させた。 戦史上まれに見るこの快進撃に、全世界は驚嘆した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。