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近衛内閣B総辞職 1941/10/16
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
ああああああ
引用近衛は後任に東久邇宮稔彦を推した。
ここまできて戦争をくいとめうるのは、強い信念の持ち主であり、皇族の権威を援用できる宮しかないと考えたのである。
実はこの案は東条の考えであった。
九月六日の決定をめぐって傷ついた当事者たちを超える新主体によって、
政軍を再統合してもらうほかないと、東条は着想し、十四日夕、これを鈴木貞一を介して近衛に伝えたのであった。
ここで興味深いのは、東条が東久邇宮の強固な対米戦争反対論を知ったうえで推挙していたことである。
九月六日の御前会議の翌朝、宮は東条陸相を自邸に呼んで注意した。
宮が第一次大戦後ヨーロッパに長期滞在した際、フランスのクレマンソー元首相やペタン元帥が日米戦争を予言し、
決してアメリカと戦ってはならないと忠告したことを、宮は話して聞かせた。
アメリカが外交的に日本を締めつけ、短絡的な日本が自分の方から開戦するとのクレマンソーの予言通りに昨今の事態は進んでいると宮は指摘し、
猛省を促した。
東条は戦は賭けであり、やってみなければわからない、五分五分であると反論した。
見解の相違といって、東条は席を立った。
宮を推した東条は、宮首相が「聖上の御意」に沿って戦争を回避するなら、それもよいと達観していたようであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「近衛内閣B」は「第3次近衛内閣」「第三次近衛文麿内閣」と同じ意味です。 |