東條内閣成立
1941/10/18
戦争回避へ。 陸相兼任で東條陸軍大将、青天の霹靂、首相就任。
[詳細]   
1941/09/06   御前会議、対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)
1941/10/16   近衛内閣B総辞職
1941/10/17   東條英機に組閣命令
1941/10/17   白紙還元の御諚
1941/10/18   東條内閣成立 (首相:東條英機
1941/11/26   野村・来栖両大使、ハル・ノートを受領
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1942/02/15   シンガポール攻略
1942/04/30   総選挙[21] (翼賛選挙/推薦381、非推薦85)
1942/06/05   ミッドウェー海戦 (〜06/07)
1943/02/01   ガダルカナル島撤退開始 (02/07 撤退完了)
1943/04/18   海軍甲事件 (連合艦隊司令長官山本五十六戦死)
1943/09/08   イタリア、無条件降伏
1943/11/27   カイロ宣言
1944/02/21   東條首相兼陸相、参謀総長を兼任 (嶋田海相、軍令部総長兼任)
1944/03/08   インパール作戦開始 (〜07/09)
1944/03/31   海軍乙事件 (連合艦隊司令長官古賀峯一「殉職」/04/05 発表)
1944/06/19   マリアナ沖海戦 (〜06/20)
1944/07/07   サイパン陥落 (守備隊玉砕)
1944/07/14   東條首相、参謀総長辞任
1944/07/18   東條内閣総辞職
1944/07/22   小磯内閣成立 (首相:小磯国昭
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
語録 万人が納得するほどの手段を尽くしてアメリカに受け入れられなかったら戦争になるかもしれない。 でもそのときは国民は奮起してついてきてくれるでしょう。 一方、日米交渉が成功して支那事変解決となったら国民からは感謝されます。
武藤章 (軍務局長)
語録 東條の能力はせいぜい大佐どまりだ。とうてい国を治める人物ではない。 今に日本はひどいことになる。覚悟しておいた方がよい。
小畑敏四郎 (予備役陸軍中将)
引用ハルは、その回顧録に「東條は典型的な日本軍人で、 見識の狭い直進的な、一本気の人物であった。 彼は頑固で我意が強く、賢明とはいえないが勤勉でいくらか迫力のある人物」と書いている。 もっとも、駐日大使グルーの報告によって、この内閣近衛路線を継ぎ、日米交渉に尽力すると知るや、 ハルは警戒を解いている。 だが、政治的に、この内閣を利用することだけは忘れなかった。
引用陸軍省の中枢である東條武藤日米交渉に本気で取り組んでいるという噂が 陸軍内部に広がると、公然とテロがささやかれだした。 「天誅を加えると公言する者がいる」と憲兵隊は情報をもってきたので、 軍務局長室には終日護衛の憲兵がついた。 東條もまた数人の護衛が身辺を守った。
東條白紙還元の枠をつけて推挙したのが内大臣木戸幸一だという事実は、 広く政策集団や民間右翼にも知れわたった。 木戸襲撃という噂も流れ、二十名に近い護衛が彼の周囲を警戒する事態になった。 木戸東條も、一面では自らのこれまでの幻影に脅えているともいえた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「東條内閣」は「東条内閣」「東條英機内閣」「東条英機内閣」と同じ意味です。