バンゼー会議
1942/01/20
ベルリン郊外、湖のほとりで、ユダヤ人の「最終的解決」が話し合われ、決定された。
    
1933/01/30   ヒトラー内閣成立 (独)
1935/09/15   ニュルンベルク法公布 (ユダヤ人迫害の法制化)
1938/09/30   ミュンヘン協定 (ドイツへのズデーテン割譲を決定)
1938/11/09   水晶の夜 (ドイツ)
1939/08/23   独ソ不可侵条約締結
1939/09/01   ドイツ軍、ポーランド侵攻開始 (第二次世界大戦勃発)
1942/01/20   バンゼー会議 (ハイドリッヒ・アイヒマンら、ユダヤ人大量殺害を決定)
1942/08/22   ドイツ軍、スターリングラード猛攻撃開始 (スターリングラード攻防戦)
1942/11/08   連合軍、北アフリカ上陸開始
1942/11/19   ソ連軍、スターリングラードで反撃開始
1943/02/02   スターリングラードのドイツ第6軍、全軍降伏
1943/04/13   ベルリン放送、カチン虐殺事件を発表 (遺体4000以上発見)
1943/04/19   ユダヤ人の反ファシズム武装蜂起 (〜05/19/ワルシャワ・ゲットー)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用ユダヤ人の組織的な抹殺について「最終的解決」をはかるという方針が確定したのは、 独ソ戦の開始後のことであった。 この点で忘れることができないのは、一九四二年一月にベルリン郊外にあるヴァンゼー湖のほとりでひらかれたいわゆる「ヴァンゼー会議」である。 この会議には、外務省、経済省、東部占領地域担当相など、ナチス政府の関係機関を代表する十五人の高官が出席した。 この会議で中心的役割を演じたのは、ゲーリングから「ユダヤ人問題の最終的解決」をまかされていた親衛隊の国家保安部長官ハイドリヒである。 彼は、出席者をまえにしてつぎのような趣旨の計画を披露した。
ヨーロッパは「西から東へむかってくまなくくしけずられ」なければならない。 つまり、ヨーロッパにおけるすべてのユダヤ人は「自然に減少させる」ことを目的として、 重労働に従事させるため、まず東方に移送すべきである。 そして、このようにしてもなおユダヤ人に対しては「適当な措置」をとるべきである。
引用一月二十日、ベルリンでRSHA(国家保安本部)長官R・ハイトリヒSS大将が主宰する特別会議がひらかれた。
空軍総司令兼国防閣僚会議議長H・ゲーリング元帥の指令にもとづき、ユダヤ人問題の「最終解決」(ENDL:OSUNG)の 「組織的、実際的、物質的」計画を討議するためである。
会議の結論は、ユダヤ人を「東部の労働配置」につかせること、「相当数の自然淘汰が期待」できるが、 残存者は「反抗能力」の持ち主なので、「処置」すること、などを主意にしていた。
死ぬまで働かせよ、しぶとい奴は殺せ―というのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。