ドゥーリトル爆撃隊、東京・名古屋・神戸などを空襲
1942/04/18
アメリカ軍 意地の空爆作戦に、日本の防衛網は虚をつかれた。
    
1941/11/26   野村・来栖両大使、ハル・ノートを受領
1941/12/08   マレー半島上陸開始 (AM02:00)
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1941/12/10   マレー沖海戦
1941/12/25   香港のイギリス軍降伏
1942/01/02   日本軍、マニラ占領
1942/02/15   シンガポール攻略
1942/03/01   日本軍、ジャワ島上陸
1942/03/08   日本軍、ラングーン占領
1942/03/09   ジャワ島の蘭印軍降伏
1942/04/05   機動部隊、コロンボ空襲
1942/04/18   ドゥーリトル爆撃隊、東京・名古屋・神戸などを空襲
1942/05/07   コレヒドール島(フィリピン)のアメリカ軍降伏
1942/05/07   サンゴ海海戦 (〜05/08)
1942/06/05   ミッドウェー海戦 (〜06/07)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用戦後明らかになったところでは、この爆撃はアメリカの示威行動だった。 アメリカ軍上層部は、昭和十七年の初期に日本の面子を失なわせる奇襲作戦で米国民の士気を鼓舞しようと考え、 〈日本本土爆撃〉を太平洋艦隊のキング提督が主張し、ドウリットル陸軍中佐を隊長とする爆撃隊が編成されたのである。 キングは「大損害を与えることは期待できぬが、日本の天皇にはいろいろ考えさせることは確かだ」と、 空母ホーネットからB25型爆撃機十六機を六六八マイル離れた東京をめざして飛び立たせた。
ドウリットル爆撃隊は、東京を爆撃してから中国奥地の基地に逃げこむことになっていた。 が、爆撃隊は日本国内では日本軍によって撃ち落されなかった。 このニュースはアメリカ国内を沸きたたせた。 アメリカのマスコミはしきりに「反転攻勢」ということばをつかって情勢の転換を期待したが、 この爆撃はその象徴的なてきごとと、とらえられたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。