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マリアナ沖海戦 1944/06/19
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク
闘将小沢治三郎の必殺アウトレンジ戦法がなぜああも無残に「七面鳥撃ち」になってしまったのか。
taroの答えはずばりテクノロジーの差だ。
レーダーが日本軍機の奇襲をあっさり察知、ゆうゆうの迎撃では命中しなくても敵機にダメージを与えられるVT信管が絶大な威力を発揮した。
2年前の勝利を「Incredible Victory」と喜んだアメリカは、もはや日本を敵としなくなっていた。
そういえば、40年前の旅順でも日本軍は敵の新発明兵器に悩まされている。
手榴弾、地雷弾用臼砲、棒状地雷用投擲装置、小銃一斉射撃装置、綿火薬機雷投擲装置。
どうやら日本人はテクノロジーよりも血のにじむ猛訓練や決死の白兵突撃を好むものらしい。
引用六月十九日朝、日本の艦隊とアメリカ軍艦隊が遭遇した。
小沢提督は、第一次、第二次と三百四十機の攻撃機を出撃させた。
先制攻撃で一気に決着をつける考えだった。
ところが同じ日の朝、陸上航空部隊が米軍の執拗な攻撃を受け、
グァム、トラックの航空部隊はすでに機能を失なっていた。
そのため「あ号」作戦の狙いである母艦航空部隊と陸上航空部隊が一体となっての航空決戦構想は、あっけなく崩れた。
日本軍は空母搭載機だけで戦わねばならなかった。
アメリカ軍には高性能レーダーがあり、これが日本軍の攻撃機接近を捉えた。
四百五十機の戦闘機が待ちかまえていた。
日本軍の第一次攻撃隊は、この迎撃の網にかかり、
辛うじてこれを突破した攻撃機も戦艦からの対空砲火を受け撃墜された。
四分の一がやっと母艦に帰りついた。
第二次攻撃隊はもっと惨めだった。
技倆未熟な搭乗員では遠距離攻撃が無理だったためもあるが、ほとんどがアメリカ軍の攻撃で撃墜された。
航空兵力だけでなく、空母翔鶴、大鳳は魚雷を打ちこまれ炎上した。
不沈空母とされていた大鳳が魚雷一本で炎上を起こしたのは、海軍の首脳部には衝撃だった。
空母瑞鶴に乗り移った小沢は、翌二十日に再び攻撃をかけようと戦力を点検したところ、
艦載機が百機に減っているのに驚かされた。
さらにこの日夕刻、アメリカ軍は日本の機動部隊に攻撃をかけ、空母千代田、瑞鶴の飛行甲板を破壊し、
飛鷹を爆発炎上させた。
豊田連合艦隊司令長官は、ここに至って全軍の撤退を命じたが、
日本海軍は三隻しかない大型空母のうちの二隻と三百九十五機を越す艦載機、
それに四百名近くのパイロットを失なっていた。
アメリカ機動部隊に被害らしい被害を与えることができなかったばかりか、
決戦まえには誰ひとりとして想像しなかったほどの惨敗であった。
引用日米両海軍の戦力のバランスが崩れ始めると、
もう小手先の戦闘技術の訓練だけでは対抗できなくなる。
昭和一九年六月一九日のマリアナ沖海戦で、日本海軍最精鋭の第一機動部隊(長官小沢治三郎中将)の二六五機におよぶ
第一次攻撃隊がアウトレーンジ戦法という長距離攻撃を試みたにもかかわらず、壊滅的損失を余儀なくされたのも、
米軍側がレーダーで一五〇マイル前方からこれを捕捉し、ほぼ倍の数の戦闘機(四五〇機)で迎え撃ったからであり、
また米艦隊は高角砲に新開発のVT信管(飛行機に命中しなくても、目標物の至近で炸裂する)を
とりつけた砲弾を使用したからである。
技術体系に大きな革新があったために、もはや単純な戦法レベルでの対応では十分機能しえなかったといえる。
そのうえ、アウトレーンジ戦法という高度な技能を必要とする戦法を適用するには、
乗員の練度は訓練不足もあって相対的に低かったと考えられる。
戸部良一他 「失敗の本質」
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※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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