ヒトラー暗殺計画失敗
1944/07/20
会議中のヒトラーの至近距離で時限爆弾が爆発。 だが、奇跡的に軽傷を負っただけだった。
    
1944/06/06   連合軍、ノルマンディー上陸作戦開始 (オーバーロード作戦)
1944/06/15   ドイツ軍、V1ロケットでロンドン爆撃開始 (〜06/16)
1944/07/20   ヒトラー暗殺計画失敗
1944/10/11   ソ連軍、ドイツ国境を突破
1944/10/14   ロンメル服毒死
1945/02/11   ヤルタ協定 (スターリン、対日参戦を約束)
1945/04/22   ソ連軍戦車隊、ベルリン市街に突入
1945/04/30   ヒトラー自殺
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用スタウフェンベルク大佐は、七月一日、予備軍の参謀長に任命され、ヒトラーと同席する機会を得ていた。 彼は、自分の手でヒトラーの暗殺をくわだてることにした。 七月一一日と一五日、彼は軍事上の報告をするためにヒトラーの面前によびだされた。 しかし、計画の齟齬からヒトラーを暗殺することに失敗した。 二〇日、三度目のチャンスがおとずれた。 スタウフェンベルク大佐は、ヒトラーに報告するため、東プロシアのラステンブルクにおかれた司令部によびだされた。 彼が会議室に入っていったとき、もう会議ははじまっており、ホイジンガー大将が報告をつづけていた。 彼は、ヒトラーと二三人の将校がかこんでいるテーブルの足の内側にヒトラーのほうにむけて時限爆弾をいれたカバンをおいた。 そしてベルリンから電話がかかってくるからといって席をはずし、大急ぎで建物の外にのがれた。 爆弾は、午後〇時四二分に破裂した。 のがれでていたスタウフェンベルク大佐は、一五五ミリ砲弾が命中したような大きな爆音をきいた。 しかし、ヒトラーは死ななかった。 スタウフェンベルク大佐が机の足にカバンをたてかけて室をでていったあと、 ホイジンガー大将の報告をききながら机上にひろげられた地図をのぞきこんでいたブラント大佐は、 のぞきこむのに足元のカバンがじゃまになるので何気なくすこしずらせた。 カバンは、机の足の外側にうつされ、ヒトラーと逆のほうにむけられた。 そのうえ暑い日だったため、窓があけはなたれていた。 おかげでヒトラーは軽傷を負っただけで命をたすかった。
引用一九四四年七月二十日に、シュタウフェンベルク大佐を中心におしすすめられた計画も、 いま一歩で成功というところまでせまりながら、惜しくも失敗した。
その日、東部ドイツのラステンブルクというところで、ヒトラーを中心に作戦会議がひらかれた。 かねてヒトラー暗殺の機会をねらっていたシュタウフェンベルクも、補充軍の参謀長という資格で、 この会議に出席した。 午後零時四十二分、ヒトラーの足もとから数フィートの場所に何気なくおかれたシュタウフェンベルクの書類鞄のなかで、 予定どおりに時限爆弾が爆発した。 会議場にあてられていた兵舎からは爆音とともに煙と炎がまきおこり、その場にいあわせた四人が致命傷をおい、 他の数人が重傷を負った。 だが肝心のヒトラーは、奇蹟的に軽傷ですんだのである。
爆発がおこるまえにそっとラステンブルクの会議場をぬけだしていたシュタウフェンベルク大佐は、 ただちに飛行機でベルリンに飛び、かねて予定していたクーデター計画をおしすすめようとした。 だが、ここで、陰謀派の将校たちは、放送局の占拠をおこたるなど、いくつかの決定的なミスをおかした。 それに、ヒトラーが生きているという知らせがはいるとともに、陰謀派の将校たちのあいだにも動揺がおこった。 そして同夜のうちに、クーデターの首謀者たちはとらえられ、その幾人かは即決の裁判に付されて銃殺された。 シュタウフェンベルクは最後に「神聖なるドイツ万歳!」と叫んで死んだ。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。