アメリカ軍、ペリリュー島上陸
1944/09/15
玉砕続きの日本軍の中で、中川大佐と水戸連隊 大健闘。 物量に勝るアメリカ軍と死闘を展開。
    
1943/02/01   ガダルカナル島撤退開始 (02/07 撤退完了)
1944/02/17   アメリカ機動部隊、トラック島空襲
1944/03/08   インパール作戦開始 (〜07/09)
1944/03/31   海軍乙事件 (連合艦隊司令長官古賀峯一「殉職」/04/05 発表)
1944/06/15   アメリカ軍、サイパン島上陸
1944/06/19   マリアナ沖海戦 (〜06/20)
1944/07/07   サイパン陥落 (守備隊玉砕)
1944/07/21   アメリカ軍、グアム島上陸 (08/10 守備隊玉砕)
1944/07/24   アメリカ軍、テニヤン島上陸 (08/03 守備隊玉砕)
1944/09/15   アメリカ軍、ペリリュー島上陸
1944/10/12   台湾沖航空戦 (大本営、大戦果を発表)
1944/10/20   アメリカ軍、レイテ島(フィリピン)上陸
1944/10/24   レイテ沖海戦
1945/03/17   硫黄島守備隊玉砕
1945/04/01   沖縄戦開始 (アメリカ軍、沖縄本島上陸)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用海軍はまだ率直に戦況の非を悟っていったが、 陸軍は一個師団対四十三個師団のサイパンの作戦にも、なお望みを繋いで勝利を期待していた。 そして太平洋上至るところで玉砕に次ぐ玉砕を続けた。 その中で一きわ勇戦奮闘して、米軍の心胆を寒からしめ、世界戦史に「驚嘆」の賛辞を残したのが、 昭和十九年九月十五日米軍が上陸したペリリュー島の守備隊中川州男大佐(戦死後二階級特進、中将となる)の 歩兵第二連隊(水戸)の戦闘であった。
幸い米軍の上陸までに、短いとはいえ四ヶ月の準備期間があった。 そのため数線の陣地を孤島の中に準備し、第二線陣地には厚さ二・五メートルのセメントの掩蓋を作って大砲や機関砲を入れ、 水際での早まった突撃はやめて、徹底した奥行の深い戦法で、米軍が奥に入ってくれば入るほど損害が多くなる戦闘を行った。 その結果、九月十五日以降、十一月二十四日の中川州男大佐の自決に至るまでの二ヶ月以上を 一個連隊を基幹とする部隊(約五千名)で、米軍二個師団と押しつ押されつの戦闘を繰り返して、 文字通り米軍に悲鳴をあげさせただけでなく、山口永少尉以下三十四名は、 連隊があらかじめ作った最後の砦である地下壕や洞窟を利用して、ゲリラ戦に転じて昭和二十二年四月二十一日まで 戦闘を続けていたのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。