近衛文麿、天皇に上奏文を奉呈
1945/02/14
近衛公天皇にバレンタインの言葉。 敗戦やむなし。 もっと恐ろしいものにご注意を。
    
1941/12/08   ハワイ奇襲攻撃 (AM03:25/太平洋戦争勃発)
1944/07/18   東條内閣総辞職
1944/10/12   台湾沖航空戦 (大本営、大戦果を発表)
1944/10/24   レイテ沖海戦
1944/10/25   特攻開始 (関大尉ら敷島隊)
1945/02/11   ヤルタ協定 (スターリン、対日参戦を約束)
1945/02/14   近衛文麿、天皇に上奏文を奉呈
1945/02/19   アメリカ軍、硫黄島上陸
1945/03/09   東京大空襲@ (〜03/10)
1945/03/17   硫黄島守備隊玉砕
1945/04/01   沖縄戦開始 (アメリカ軍、沖縄本島上陸)
1945/04/15   憲兵隊、吉田茂を逮捕
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/07/10   最高戦争指導会議、近衛特使ソ連派遣を決定
1945/08/06   アメリカ軍、広島に原爆投下
1945/08/08   ソ連、対日参戦 (08/09 満州侵攻開始)
1945/08/09   アメリカ軍、長崎に原爆投下
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用近衛は、すぐに小田原から湯河原の別荘に移って、そこで筆をとった。 奉書八枚におよぶ上奏文をつづった。 総理大臣の演説その他は、口述して、秘書に書かせるのだが、この上奏文は他人に見せるわけにはいかない。 みずから筆をとって、苦労して、一か月の時間を費やした。
吉田は、鈴木侍従長に頼み込んだ。
近衛公陛下に拝謁させていただきたい。木戸内府に妨害されないよう、お願いします」
それが実ったのは、ようやく二月に入ってであった。重臣すべてが、
―天機奉伺。
という名目で、個別的に陛下に拝謁させるという形がととのえられた。
二月七日は平沼騏一郎、九日は広田弘毅、十四日は近衛文麿、十九日は若槻礼次郎牧野伸顕、二十三日は岡田啓介、 二十六日は東条英機―という順序で行なわれた。
このなかで二月十四日、近衛天皇に会うのは、じつに三年余ぶりであった。 このとき近衛は、上奏文を陛下に呈した。
「敗戦は遺憾ながら、最早必至なりと存じ候。この前提のもとに申し述べ候」というのが、その書き出しであった。
「敗戦は我が国体の瑕瑾たるべきも、英米の輿論は今日までのところ、国体の変更とまでは進み居らず (勿論一部には過激論あり、又将来いかに変化するやは測知し難し)、 随って敗戦だけならば、国体上はさまで憂うる要なしと存じ候。 国体護持の立前より最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴うて起こることあるべき共産革命に候。
つらつら思うに我が国内外の情勢は、今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存じ候。 即ち国外に於ては、ソ連の異常なる進出に御座候。 ソ連は究極に於て世界赤化政策を捨てざることは、最近欧州諸国に対する露骨なる策動により、 明瞭となりつつある次第に御座候。
かくの如き形勢より推して考うるに、ソ連はやがて日本の内政に、干渉し来る危険十分ありと存ぜられ候 (即ち共産党公認、ドゴール政府、バドリオ政府に要求せし如く、共産主義者の入閣、 治安維持法及び防共協定の廃止等々)。 翻って国内を見るに、共産革命達成のあらゆる条件、日々具備せられ行く観有之候。 即ち生活の窮乏、労働者発言権の増大、英米に対する敵愾心昂揚の反面たる親ソ気分、軍部内一味の革新運動、 これに便乗する所謂新官僚の運動。
戦局への前途につき、何らか一縷でも打開の望みあるというならば格別なれど、 敗戦必至の前提の下に論ずれば、勝利の見込みなき戦争をこれ以上継続するのは、 全く共産党の手に乗るものと存じ候。 随って国体護持の立場よりすれば、一日も速やかに戦争終結の方途を、講ずべきものなりと確信仕り候。 戦争終結に対する最大の障害は、満州事変以来今日の事態まで時局を推進し来たりし、軍部内のかの一味の存在なりと存じ候。 彼等は已に戦争遂行の自信を失いおるも、今までの面目上、飽くまで抵抗可致者と存ぜられ候。 戦争を終結せんとすれば、先ずその前提として、此の一味の一掃が肝要に御座候。 もしこれら一味が一掃せらるる時は、軍部の相貌は一変し、米英及び重慶の空気或は緩和するに非ざるか。 元来米英及び重慶の目的は、日本軍閥の打倒にありと申し居るも、 軍部の性格が変わり、その政策が改まらば、彼等としても戦争の継続につき、 考慮する様になりはせずやと思われ候。 それはとも角として、此の一味を一掃し、軍部の建て直しを実行することは、共産革命より日本を救う前提先決条件なれば、 非常の御勇断をこそ望ましく奉存候。以上」
この近衛上奏文は、かねてから終戦を意図されていた天皇に、決断を与えたことは確かであった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。