沖縄戦開始 (アメリカ軍、沖縄本島上陸)
1945/04/01
本土決戦を遅らせるための持久戦には老人、子供、女性まで動員された。
    
1944/08/22   沖縄からの疎開船対馬丸、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃により沈没
1944/10/10   アメリカ機動部隊、沖縄を空襲
1944/10/12   台湾沖航空戦 (大本営、大戦果を発表)
1944/10/20   アメリカ軍、レイテ島(フィリピン)上陸
1944/10/24   レイテ沖海戦
1944/10/25   特攻開始 (関大尉ら敷島隊)
1945/03/17   硫黄島守備隊玉砕
1945/04/01   沖縄戦開始 (アメリカ軍、沖縄本島上陸)
1945/04/07   戦艦「大和」撃沈 (水上特攻失敗)
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/06/08   御前会議、本土決戦決定 (「今後採るべき戦争指導の基本要綱」)
1945/06/18   沖縄師範女子部・第一高女の生徒49人戦死または自決 (〜06/23)
1945/06/23   沖縄守備隊全滅
1946/03/01   「ひめゆりの塔」建立 (沖縄)
〜 戦死者 (沖縄県援護課調べ) 〜
連合軍    : 1万2281人
日本軍    : 6万5908人 (沖縄出身者を除く)
沖縄出身者 : 12万2228人 (うち一般人:9万4000人)
taro's トーク 40年ほど生きて、その間、taroなりにいろいろな本を読んだが、読書をして胃がキリキリと痛くなったのはただ一冊、 曽野綾子の「生贄の島」だけだ。サブタイトルは「沖縄女生徒の記録」。 半ページほど読むともう胃が痛みはじめる。その痛みが、読書を中断すると治まる。その繰り返しだった。 生すなわち地獄という極限状態の中で、発狂者の異様な声を聞いては、狂えたらその方が幸せなのだと思い、 かなたに火を噴いて落ちていく特攻機を見ては、その一瞬の死を羨望する女生徒たち。 自決用の手榴弾欲しさにいがみ合う教師たちの姿を目の当たりにする別の女生徒たち。 あとから来た兵隊たちに防空壕を追い出され、空襲に逃げ惑う村人たち。 足手まといになるからと、両親によって置き去りにされる両足を失ったいたいけな少女。 立ち去ろうとする両親の背中に「おとうさん、おかあさん、私はまだ生きてるのよ」。 taroにさえ「まだ」が痛かった。 これがせんそう・・・。心の中で何度もそうつぶやいた。いい年をして、まるでアムロ・レイのように。
引用四月一日早朝から米軍は、戦艦一〇隻、巡洋艦九隻、駆逐艦二三隻、 砲艦一一七隻を含む一三〇〇隻以上の各種艦船をもって、沖縄本島の嘉手納海岸に対する上陸作戦を展開した。 米軍の予期に反して、日本軍の抵抗は微弱なものであり、米軍戦史は、「驚き、迷い、そして安心して、 上陸波は実質的に抵抗のない所に上陸した」と描写している。
攻撃波は、順調に上陸し、一時間もたたないうちに、四個師団が並列して一万六〇〇〇名以上の将兵を上陸させた。 引き続き戦車部隊も上陸した。 米軍は、むしろ無気味さのために慎重な敵情偵察を重ねたが、やがて日本軍の奇計ではないことが判明するや、 攻撃前進に拍車をかけた。
昼頃までに米軍は、嘉手納(中)飛行場と読谷(北)飛行場を占領し、日没までに正面約一三・五キロメートル、 縦深約四・五キロメートルの地積に橋頭堡を確保した。 米軍の第一日の上陸兵力は約六万名を超え、師団砲兵はすべてが揚陸を完了した。 この日の米軍の損害は、戦死二八、戦傷一〇四、行方不明二七にすぎなかった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。