連合軍先遣隊、厚木到着 (GHQ設置)
1945/08/28
やっと昨日治安を確保した厚木基地に、連合軍、無事着陸。
    
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/14   政府、ポツダム宣言受諾を連合国に通告
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/08/20   河辺虎四郎中将ら全権委員、降伏文書などを受領 (マニラ)
1945/08/22   戦後処理会議設置
1945/08/28   連合軍先遣隊、厚木到着 (GHQ設置)
1945/08/30   マッカーサー厚木到着
1945/08/30   ドイツ管理理事会設置 (米・英・仏・ソ)
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/03   重光・マッカーサー会談 (軍政中止)
1945/09/15   日比谷にGHQ本部設置 (第一生命相互ビル)
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用マッカーサー配下の総司令部は、いわゆるバターン・ボーイズを中核として編成された。 バターン・ボーイズは、マッカーサーがバターン半島を脱出したときに行をともにした一四名(一七名ともいう)の将校からなる側近グループであり、 バターン・スタッフともよばれ、バターン・ギャングともアダ名されていた。
ワシントン政府のはじめの予定では、もっと系統ある総司令部をつくるはずであり、 そのために前もって選抜された多数有為の軍人や専門家に特別の訓練と教育をほどこしていた。 しかし、一九四五年一一月のオリンピック作戦と翌年春のコロネット作戦で日本を降伏させるというプログラムをたてていたアメリカ政府にとっては、 原爆とソ連参戦による日本の降伏は、意外に早くきたものであり、日本を軍事占領する準備は、なおととのっていなかった。 マッカーサーを連合国最高司令官に任命したワシントン政府は、日本を占領し支配する軍政府の組織計画を彼の手にゆだねた。 軍政府をいかなるかたちで組織し、いかなる人物をもって構成し、いかなる権限を彼らにあたえるか ―その決定権を手にしたマッカーサーは、沖縄の軍政をになっていたクライスト代将に立案を命じた。
立案の命令をうけたクライストは、本国で訓練をうけたもののなかから適格者を選抜して立案のグループと訓練の組織をつくり、 さらに少数の将校で立案グループの核を形成した。 彼らは、ドイツやイタリアなどヨーロッパにおける占領行政の経験と太平洋諸島における軍政の経験から学びとりながら、 厖大な軍政府の機構案をねりあげた。 それは、軍事幕僚の第五部(G5)で占領行政を統括し、日本の行政機関の支配と監督を総司令部のレベルにおいておこなうばかりでなく、 県や重要都市のレベルにおいてもおこなおうとしたものであった。 しかし、マッカーサーとその側近は、クライストの原案をしりぞけた。 マッカーサーは、日本に飛来したときは、万一にそなえて軍政局を組織してきたが、 事態が平常にもどったときは、日本の現存する行政機関をできるだけ温存し、そのうえに占領軍の支配と監督をおこなおうとした。 そこから、G5による占領行政の統括をやめ、日本の行政機関と接触する特別の民事幕僚部をおくことにした。 この民事幕僚部は、軍事幕僚部の General Staff と対比して Special Staff Section (特別幕僚部)とよばれ、 はじめは物資調達局・天然資源局・経済科学局・民間輸送局・公衆保健福祉局・法務局・民間情報教育局・民政局という八つの局から構成されたが、 のちにさらに分化して局を増加させた。 そしてマッカーサーは、これらの局の長に本国で正式の訓練をうけたものを排除しつつバターン・ボーイズを任命し、 正式の訓練をうけたものはバターン・ボーイズの部下として配置した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。