軍事裁判で山下奉文に死刑判決
1945/12/07
連合国記者たちの圧倒的無罪予想に反して、マレーの英雄 山下大将に死刑の判決。
    
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/08/30   マッカーサー厚木到着
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令@ (東條東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令A (小磯松岡ら11人)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令B (平沼広田ら59人)
1945/12/06   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令C (近衛木戸ら9人)
1945/12/07   軍事裁判で山下奉文に死刑判決 (マニラ/46/02/23 死刑執行)
1945/12/16   近衛文麿、服毒自殺
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
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taro's トーク ああああああ
引用山下は、ナチス・ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判の公訴提起 一九四五年(昭和二十年)十月十八日よりも早く、九月二十五日に起訴、 十二月七日に絞首刑の判決がおり、米人弁護団の米国最高裁への提訴も破れて、 二十一年二月二十三日午前三時、マニラ郊外で絞首された。 マニラ市を主とするルソン島における日本軍の残虐行為の責任を問われたのである。 参謀長であった武藤自身は、この事件にかんして「クリヤ」になったと告げられていた。 判決の十二月七日は、米国民にとってはパールハーバー・アタックの忘れがたい日付であり、 この日に判決日をあわせたことは、 山下裁判が米国民の敵意と報復意図の計算のうえに組み立てられていた一面をのぞかせている。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。