幣原内閣成立
1945/10/09
何よりも戦犯容疑の絶対にかからぬ人物を。 ということで超オールドリベラリスト首相就任。
[詳細]   
1945/10/05   東久邇宮内閣総辞職
1945/10/09   幣原内閣成立 (首相:幣原喜重郎
1945/10/11   マッカーサー、幣原首相に憲法改正と5大改革を要求
1945/11/06   GHQ、財閥解体を指令
1945/12/09   GHQ、農地改革を指令
1945/12/15   GHQ、国教分離を指令
1945/12/17   選挙法改正 (婦人参政権など)
1945/12/22   労働組合法公布
1946/01/01   天皇、人間宣言 (神格化否定の詔書)
1946/01/04   GHQ、軍国主義者の公職追放などを指令
1946/01/13   幣原内閣改造
1946/02/17   金融緊急措置令 (新円発行・旧円の預貯金封鎖)
1946/02/19   天皇、地方巡幸開始
1946/03/06   政府、憲法改正草案要項を発表
1946/04/10   総選挙[22] (自由141、進歩94、社会93、協同14、共産5、他119)
1946/04/22   幣原内閣総辞職
1946/05/03   幣原首相、後継首相に鳩山一郎(自由党総裁)を推薦
1946/05/04   GHQ、鳩山一郎(自由党総裁)の公職追放を通達
1946/05/14   吉田茂、自由党総裁就任を受諾
1946/05/19   食糧メーデー (飯米獲得人民大会開催)
1946/05/22   吉田内閣@成立 (首相:吉田茂
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用六月、外務省の後輩である市川泰次郎は、吉田の指示で幣原を訪ねた。 五月二十五日の大空襲で千駄ヶ谷の自邸を、大事にしていた日記、書類、蔵書ともども焼失した幣原は、 打ちひしがれ最悪の事態に陥っていた。 多摩川畔にあった三菱系の東山産業の農場の一隅に逃れて仮住まいしていた。 幣原と会って、これが和平派希望の星かと市川は驚いた。 「非常にやせて生気がなく、がくがくとあごをならし、手もふるへ、誠に老齢そのものであつた。 このやうなご老体を和平運動にかつぎ上げて、果してどうかとさへ怪しんだ」
吉田は自ら多摩川畔に幣原を訪ね、さらに七月に入って丸ノ内の日本倶楽部で再度会って、和平運動の先頭に立つよう求めた。
【中略】
体力の衰弱と病みがちな健康は、家と書類を焼かれ流浪の身となって以来、おそらく加速したのであろう。 手がふるえあごが異音を発して、来訪者を驚かせる上述の事態に至っていたのである。 それでも幣原引き出しをやめない吉田らは、常識的には老人に対し人情を欠いた残酷な後輩ということになろう。 ところが、人間分からないもので、幣原は七十三歳の老齢をもって政治の最高責任を帯びることにより、 活力をとり戻し、手のふるえもあごのぐらつきも消え、意義ある最晩年を持つことになるのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
「幣原内閣」は「幣原喜重郎内閣」と同じ意味です。