金融緊急措置令
1946/02/17
インフレを止めるため、新円を発行して、旧円の預貯金を封鎖した。
    
1943/06/01   東京昭和通の植樹地帯を畑に
1944/11/01   大日本青少年団、どんぐり採集
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1946/02/17   金融緊急措置令 (新円発行・旧円の預貯金封鎖)
1946/03/03   物価統制令公布
1946/03/15   片岡仁左衛門一家殺人事件 (食べ物の恨みから)
1946/05/12   世田谷区「米ヨコセ」区民大会デモ (赤旗、初めて坂下門をくぐる)
1946/05/19   食糧メーデー (飯米獲得人民大会開催)
1946/05/19   プラカード事件
1946/05/21   吉田・マッカーサー会談 (「日本人は一人も餓死させない」)
1946/08/12   経済安定本部および物価庁設置
1946/10/08   復興金融金庫法公布
1946/12/27   閣議、傾斜生産方式を決定
1947/04/20   参議院選挙[1] (社会47、自由39、民主29、国協10、共産4、他121)
1947/04/25   総選挙[23] (社会143、自由131、民主124、国協31)
1947/10/11   山口良忠判事、栄養失調で死亡
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用一九四七年(昭和22)に発令されたポツダム命令(勅令)で、敗戦後の激しいインフレーションの収束を目的としていた。 敗戦後、銀行は融資先企業の倒産を防ぐため新たな貸付けをおこない、 国民も戦時中に強制された預金を一斉に引き出したため、銀行は資金不足で倒産の危機に直面した。 日銀は民間銀行への貸出しによってこれを防いだが、そのための通貨増発がインフレーションを招いた。
その対策として幣原内閣は秘密裏に金融緊急措置令を準備し、二月一六日の土曜日に突然ラジオで発表して翌月曜日から実施した。 これによってすべての預貯金は封鎖されて支払停止となり、そこからの引出しは一ヵ月に世帯主三〇〇円、世帯員一人一〇〇円までに制限された。 また、手持ち通貨の隠匿を防ぐため、流通中の日銀券は三月二日限りで失効させ、新円切換えを実施した。 これによって通貨量は収縮したものの、復興金融金庫を通じた財政支出の増大のため、新たなインフレが進行した。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。