東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1946/05/03
平和に対する罪!? そんなのまで裁いちゃう東京裁判がはじまった。
    
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表
1945/08/14   御前会議、ポツダム宣言受諾を決定
1945/08/15   玉音放送 (終戦の詔勅)
1945/08/28   連合軍先遣隊、厚木到着 (GHQ設置)
1945/08/30   マッカーサー厚木到着
1945/09/02   降伏文書調印 (全権:重光葵梅津美治郎/第二次世界大戦終結)
1945/09/11   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令@ (東條東郷ら39人)
1945/09/11   東條英機自殺未遂
1945/11/19   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令A (小磯松岡ら11人)
1945/12/02   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令B (平沼広田ら59人)
1945/12/06   GHQ、戦争犯罪人逮捕を指令C (近衛木戸ら9人)
1945/12/07   軍事裁判で山下奉文に死刑判決 (マニラ/46/02/23 死刑執行)
1945/12/16   近衛文麿、服毒自殺
1946/04/29   A級戦犯容疑者28人の起訴状発表
1946/05/03   東京裁判(極東国際軍事裁判)開廷
1948/11/12   東京裁判、A級戦犯25被告に有罪判決
1948/12/23   東條英機・広田弘毅ら7人、絞首刑執行
1948/12/24   GHQ、岸信介らA級戦犯容疑者19人を釈放と発表
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taro's トーク ああああああ
引用東京裁判についても、極東委員会の干渉が連合国軍最高司令官に及ぶ以前の一月十九日に、 マッカーサーによる極東軍事裁判所条例が公布されていて、 裁判の性格づくりや進め方など基本的条項がすでに定められていた。
その条例を作成したのはキーナン検事を中心とするアメリカ・スタッフだけの国際検事局であり、 もはや東京裁判の主導権を完全にアメリカが握っていた。
ナチス・ドイツを裁いたニュールンベルク裁判に倣った条例だが、決定的に違うのは、 主席検事を各国から派遣の復名にするのではなく、アメリカ代表キーナン検事ただ一人にしたことである。
東京裁判は、その出発時点から、アメリカ主導の裁判であり、端的にいえばマッカーサー裁判であった。
引用日本側の要請によって、 各被告にはアメリカ人弁護人も付いたが、ジョージ・A・ファネス(重光葵担当)弁護人、 ベンブルース・ブレークニー(東郷茂徳担当)弁護人らも次々に補足動議に立つ。
戦火の後遺症がまだ生々しいこの時期、敵国の戦犯被告の弁護に当たるというのは、 日本人の感覚と常識では考えられないことだが、彼らは公正であり勇敢であった。
判事団に向かって、彼らは言う―。
戦争での殺人は罪に当たらない。 国際法的には、「戦争」は合法であり、まして個人がその責任を問われて裁かれるのは不当である。 それでも裁くというのであれば、公正を期すために、中立国の判断に委ねて裁判にかけるべきである。
ブレークニー弁護人の反論は、原爆を投下したアメリカ側の問題にまで及ぶ。
彼は国際法に精通する学究だが、アメリカ陸軍の少佐である。 その軍服を着ているが、「我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることが出来る。 投下を計画した参謀総長の名も承知している。その国の元首の名も知っている」と皮肉る。
この原爆の件りは、ウェッブ裁判長によって速記停止が命ぜられた。 同時通訳の声も止まった。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。