吉田首相、ラジオで一部労働運動指導者を「不逞の輩」と非難
1947/01/01
首相の過激発言が労働運動に火をつけた。
    
1946/05/16   吉田茂に組閣命令
1946/05/19   食糧メーデー (飯米獲得人民大会開催)
1946/05/20   マッカーサー、「暴民デモ許さず」と声明
1946/05/22   吉田内閣@成立 (首相:吉田茂
1947/01/01   吉田首相、ラジオで一部労働運動指導者を「不逞の輩」と非難
1947/01/18   全官公庁労組共闘委員会、「2・1ゼネスト」を宣言
1947/01/31   吉田内閣@改造
1947/01/31   マッカーサー、「2・1ゼネスト」中止を命令
1947/04/20   参議院選挙[1] (社会47、自由39、民主29、国協10、共産4、他121)
1947/04/25   総選挙[23] (社会143、自由131、民主124、国協31)
1947/05/20   吉田内閣@総辞職
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用吉田首相は、元日、ラジオ放送において「経済危機を醸成せしめつつある現状」を憂えながら、 「この悲しむべき経済状況を利用し、政争の目的のためにいたずらに経済危機を絶叫し、ただ社会不安を増進せしめ、 生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のための挙国一致を破らんとするがごときものあるにおいては、私は、 わが国民の愛国心に訴えて、彼らの行動を排撃せざるをえないのであります」とさけび、 「しかれども、私はかかる不逞の輩がわが国民中に多数あるものとは信じませぬ」とのべた。 吉田首相が「不逞の輩」とよんだとき、それがゼネストに突進しつつある労働者をさしていることはあきらかであった。 三日の『朝日新聞』は、吉田首相の発言は「言語道断」であり、 「不逞」という表現は敗戦前の日本において一定の政治的意義をおびて使用されてきたもので、 「それは、特権階級が政治的弾圧をおこなうにあたって、 おのれを正しとし他を不逞としていっさいの批判をゆるさない絶対主義的天皇制のもとにおける独特のことばであった」と痛論した。 吉田首相の発言は、大衆闘争の指導者を憤激させたばかりでなく、これまで比較的意識のひくかった大衆をも反政府行動にかりたてた。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。