トルーマン・ドクトリン
1947/03/12
冷戦ののろし。 トルーマン大統領、ギリシア・トルコ支援で共産圏との対決姿勢を鮮明に。
    
1944/12/03   ギリシア内乱勃発 (〜45/01/11)
1945/02/04   ヤルタ会談 (〜02/11)
1945/06/05   ベルリン協定調印 (米・英・仏・ソ)
1945/07/17   ポツダム会談 (〜08/02)
1945/08/30   ドイツ管理理事会設置 (米・英・仏・ソ)
1946/03/05   チャーチル、「鉄のカーテン」演説 (米・ミズーリ州フルトン)
1946/07/12   国共内戦、全面戦争化
1946/09/12   ウォーレス(米)商務長官、米ソ協調演説 (09/20 辞任)
1947/02/10   パリ平和条約調印 (連合国とイタリア・ハンガリーなどの講和)
1947/03/12   トルーマン・ドクトリン
1947/06/05   マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)発表
1947/10/05   コミンフォルム(欧州共産党情報局)設置
1948/04/01   ソ連、ベルリンを一部封鎖
1948/06/24   ベルリン封鎖 (〜49/05/12)
1948/06/26   西側諸国、西ベルリンへの大空輸を開始
1949/04/04   NATO(北太平洋条約)調印
1949/10/01   中華人民共和国成立 (主席:毛沢東
1950/02/09   マッカーシー(米)上院議員、国務省に57人の共産党員がいると演説
1950/06/25   朝鮮戦争勃発
〜 あああ 〜
あああ
taro's トーク ああああああ
引用「武装した少数者や外部の圧力による征服の意図に抵抗しつつある、自由な諸国民を援助することこそ、 合衆国の政策でなければならぬ。・・・・・・ギリシア国家の生存そのものが、今日脅かされている。 ・・・・・・トルコの将来は、全世界の自由を愛する人々にとって、ギリシアの将来に劣らぬ重要性をもっている。」 こう謳い文句をならべた後、トルーマンは、ギリシアおよびトルコ援助のため四億ドルを協賛するよう議会に要請した。 この要請が許可された瞬間から、アメリカは、一世紀にわたり東地中海を支配してきたイギリスに代わって、 異なった世界への冒険に乗り出すこととなるのである。
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。