マーシャル・プラン(ヨーロッパ復興計画)発表 1947/06/05
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あああ
taro's トーク
ああああああ
引用経済的領域でトルーマン・ドクトリンに相当したのがマーシャル計画であり、本計画は一九四七年六月五日、
ハーヴァード大学における国務長官ジョージ・C・マーシャルの講演に端を発した。
マーシャルはいう ―少なくともここ二、三年間、欧洲では需要のほうが支払い能力をはるかに越えるであろうから、
「世界に正常で健全な経済を取り戻させるのを援助するために、合衆国がなしうることをつくすのは当然である。
健全な経済なくしては政治的安定も、恒久平和もありえない」と。
こうした対外援助の申し出に続いて、翌年四月には欧洲復興計画(ERP)、一般にマーシャル・プランとして知られる計画が発足し、
五一年末の満期までには、総額一二五億ドルが投ぜられた。
そして、これにより西欧十六ヵ国は急速に経済再建をとげ、工業生産および生活水準は戦前を上回るようになった。
しかし東西関係という見地からすれば、マーシャル計画は冷たい戦争を決定的にした政策といわねばならない。
本計画をアメリカ帝国主義の暴逆だと非難したソ連およびその衛星国は、戦時中からの相互援助条約を発展させて、
一九四七年十月、ワルシャワで共産党情報局を結成した。
コミンフォルムはフランスおよびイタリアをふくむ欧洲九ヵ国の共産党代表からなり、
はじめ本部をユーゴのベオグラードに置いたが、後にウクライナ、アルバニア、フィンランド、東ドイツの各共産党が加入し、
四八年にユーゴが除名されてからは、本部もルーマニアのブカレストに移された。
それは、情報局という名称から想像されるような情報交換機関にとどまるものではさらさらなく、
実は戦時中に解散されたコミンテルンの再開であり、加入国共産党が協力し、全力をあげて「アメリカ=イギリス帝国主義への闘争」を行ない、
内外の反共・反革命分子を批判・粛清することを主目的とした。
たとえば四七年末、コミンフォルムが、共産党に指導されたフランス労働組合のゼネ・ストを支持したのは、
その性格をよく示している。
今津晃 「概説現代史」
P.265この本を入手
引用国務長官マーシャルは、六月五日、ハーバード大学における演説で「世界情勢が甚だ重大であること」を強調し、
ヨーロッパが「経済的・政治的破局に当面する」危機にあることを指摘し、
「ヨーロッパの人々に自国およびヨーロッパ全体の経済的将来性にたいする自信をふたたびもたせる」必要を力説した。
彼は、ヨーロッパの危機を救うためにアメリカが援助をおこなうことを約束したが、
この援助の目的が「自由な諸制度・機構が存続できるような政治的・社会的情勢をつくりだす能動的な経済体制を世界に復活すること」だというとき、
彼が共産主義との対決を意図していることはあきらかであった。
信夫清三郎 「戦後日本政治史U」
P.583この本を入手
※ 「クリック20世紀」では、引用部分を除いて、固有名詞などの表記を極力統一するよう努めています。
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